human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

演奏される歌について

本タグ記事のコンセプト

今の生活で、僕が日常で聴く音楽は半分以上がボーカロイドです。
この存在を最初に知ったのは卒論を書いていた、2007-08年くらいです。
それから聴き方は色々変わりながら、それでも聴き続け、今に至ります。
これだけ長い間、生活の一部になっていたことを、あまり言葉にしてこなかった。

曲や作曲者の紹介を介して、ボーカロイドについていくらか書いてはいました。
が、当時は流行に乗るようなイメージを持っていたような気がします。
それは、それだけのインパクトがあったからです。
ネット上で「音楽で個人同士が(市場を介さず)繋がる」ための表現手段として。

今の自分の興味は、それとは別の所にあります。
もう、何の違和感もなく根付き、日常に欠かせない要素となった。
日常的な思考を営む生活の一部を、ボーカロイドが形成しています。
だから、「ボーカロイド」のタグの隣に「生活」があります。

「今日の一曲」を聴きながら、ボーカロイドについて書くことにしてみました。
それは、自分の生活について書くことにもなると思います。
生活の感性的な部分を言葉にすることで、意識の変化が起こることがあります。
つまり、他の記事と同じく、「書くことで変わる」ことを書けたらと思います。

ちょっとだけ

上はこれから書く一連の記事全体の話でした。
長くなったので、本題として書こうと思ったことを少しだけ。
僕はボーカロイドは(元々は声ですが)楽器として聴いています。
もとい、「演奏される歌」と言えばよいかもしれません。

「歌う楽器」という比喩表現があります。
情感がたっぷりこもった、人が歌っているかのごとく聴こえる楽器の演奏。
「演奏される歌」は、これの逆、というか対偶…? わかりませんが。
ボーカロイドは人の声を抽象化したものだという「実感」があります。

その実感は「ボーカロイドを聴きながら思考ができる」経験に因ります。

今日の一曲

morning dew
曲:mia子
絵:meisa
声:根音ネネ