human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

変化のこと(2)-意図と習慣の「啐啄の機」-

昨日、変わったことを考えて、今日そういえばもう一つありました。
雨があまり嫌いではなくなっている。
僕は歩くのが好きですが、それは手ぶらで全身を使って歩く時。
片手に傘を持つなんて、ましてやそれを差して歩くなど言語道断。

だから、毎週歩きに出る土曜も雨だと一日家で読書でした。
日曜が晴れるなら明日歩こう、明日も雨なら来週で、と。
これは社会人になった頃からの話で、習慣付いたと思っていました。
それが今は、雨が降っていても土曜に出掛けるようになっている。

雨の日は肩掛け鞄でなく、リュックにカフェ用の本を入れて出掛ける。
途中で晴れれば傘をリュックに挿して、手ぶらになれるからです。
とはいえ、傘を差して歩くのが好きになったわけではありません。
雨脚が強くなれば、その時に近いバス停からひょいとバスに乗ります。

たぶん「雨の日は歩かない」より「土曜日は歩く」が優先されるようになった。
土曜は外出で疲れて、日曜は部屋に籠って、月曜は反動でまた外に出たくなる。
週初めの出勤に勢いをつけるという効果を、どこかで発見し、習得したらしい。
こちらが習慣になり「雨の日に歩く」が前提になると、工夫の意図が生まれる。

水について想像を巡らすようになったのも、この時期と重なるかもしれません。
体の中は水で満たされ、外の空気も水で満たされ、肌の浸透圧が不思議になる。
また、雨の匂い、水気の雰囲気を鼻で感じられるようになったような気もする。
降る日の朝の飽和した匂い、粒の大きい雨の匂い、霧雨の匂い、止んだ雰囲気。

「鶏と卵」という話があります。
どっちが先か分からない、のですが、それは多分どっちでもいいのです。
どちらかが先ならば、もう片方は後になる。
大事なのは、どちらが先になるかで、その中味が変わることです。

唐突でしたが、言いたかったのは「意図が先か、習慣が先か」ということです。
情報を集めて、導入する効果を検討したうえで、ある習慣を形成する。
あるいは、生活の構成要素のしわ寄せが集積して、ある習慣が形成される。
習慣の内容が同じでも、起源が異なれば、その効果は違ってきて当然です。

というより、前記事の話からして、その起源も内容に含まれるのでしょう。