仕事中にふと思い付いた関係のないことを広げてみます。
「きらむ」と「きむら」が同じだと思いました。
打ち間違えたのですが、それに違和感を覚えるのに時間がかかった。
「違うけど、同じじゃないか。まあ違うけど」とか。
少し考えて、アナグラムとはただの遊びではないな、とか。
この打ち間違いはたまにあって、要するに左手と右手が噛み合っていない。
右手が打ち終わるのを待たずに左手が動く。
打ち込む内容と別の物事に気を取られた時に怒りやすいと思える。
この打ち間違いが起こる原理を考えると面白いかもしれません。
左手は、右手が打ち終わったと思って打ち込みを開始する。
けれど右手は左手のフライングに「おいおい」と思う。
思ってよいはずだけど、左右の手を動かす当人はけろりとしている。
違和感が遅れたのは、その動きが自然だったから。
アナグラム力(りょく)は、単語の構成文字を瞬時に並び替える能力です。
つまりアナグラム力とは、語順という順番を無化する能力でもある。
今書きながら、キーボード入力はアナグラム力を育てるのではないかと思う。
それが特別に、というわけではなく、例えば会話や筆記と比べて、ですが。
なぜかといえば、キーボード入力には経時的な不確実性が伴うからです。
大袈裟に言っていますが、これは左右の手のタイミングのズレの話です。
だからアナグラム力を育てるというより、わずかなきっかけとなる程度でしょう。
その意味では、頭の中で文章を組み立てる作業の方がよほどアナグラム的です。
アナグラムとは、一方向にしか読めない文字列に対する「抵抗」です。
あるいは「革命」、というと大袈裟で、ニュアンスとしては「脱臼」がいい線。
経時的な思考から共時的な身体への志向、とも言えるかもしれません。
思考が、手持ちのツールを用いて自分を脱しようとする、まこと健全な志向です。
アナグラム的思考においては、直観が認識に先行するのです。