human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

結婚の条件について

「結婚の条件」は、結婚するためではなく、結婚の拒絶を目的にしたものと考えるのが、正しいのではないか。(…)そもそも「条件」で選ぼうとすれば、条件に合わないものは全て排除されるのだから、結婚の門戸が狭められる。しかも、その「条件」への当人の決意が、それをクリアする相手とは何がなんでも結婚する、させていただくという必死のものでない以上、「結婚の条件」は、結婚へのハードルをひとつ増やしただけにすぎない。
長山靖生『「人間嫌い」の言い分』

結婚の条件は結婚しないためにある、という指摘になるほどと思いました。
結婚は、したい相手がいればするものですので、結婚する人が減ってきたという時、
「結婚を目的として行動を起こす人」が減ったことを意味します。

そうなった理由は色々な面に求められると思いますが、一言でいえば、
社会が豊かになると結婚することの切実さが失われるからでしょう。
つまり、一人では生きていけない、という状況が稀になったことを意味します。

また、恋愛と結婚の関係を考えてみてもよいでしょう。
そもそも恋愛と結婚は全く別物です。
(例えば、恋愛は個人的なものですが、結婚は社会的なものです)
その原則からして、「恋愛結婚」なる言葉を成り立たせているのは、
現代社会の苦し紛れの要請にあると考えることができます。
「なんでもいいから子どもを増やしてくれ」と。
もちろん家族ができるのは偶然が重なってのことですので、
少々論理のおかしいその要請にも効果があることは確かです。
その効果は短期的なものに限定される気もしますが。

あるいはスケールを一気に拡げて、地球の要請を考えてみます。
地球のもつ資源が養える人口には限りがあります。
その限界を科学技術の発達で拡げる意志は尊いですが、要するに博打です。
いくら個人主義礼賛といっても、環境問題を知った一般人は必ず思い至ります。
「人口を増やさないことは地球のためになるのではないか」と。
このような社会の価値観に対する根本的な疑問は生活の中で前景化しませんが、
無意識のうちに個人の価値観の土台に組み込まれないとも限りません。

結婚は一般的に個人的なものと思われがちで、
個人の自由のために結婚したくない人が増えていると言われますが、
「結婚の条件」へのこだわりは、地球環境に対する個人の貢献なのかもしれません。