human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

ジャムのこと(1)

習慣の話

生活は習慣によって作られます。
ある理想的な生活を思い描くとして、それはすぐ実現できるものではない。
なぜなら、望みの高さにもよりますが、急な変化は落ち着かないからです。

改善点を項目別に書き出し、生活の中で少しずつ実行に移し、
ちりも積もれば山となる、いつかリストの全てが達成されたとします。
最初に作成したリストのそばに、改善の過程で新たに作った別のリストがあります。
つまり、改善の本質は結果でなくプロセスにあります。

これは程度問題ではありますが、
僕は「習慣の質はその習慣の内容と直接は関係しない」と思っています。
何であれ、それが健康を損なわない、また社会人生活と抵触しない程度であれば、
そして自分の私生活に無理なく定着できれば、その習慣は良きものである、と。

何が言いたいかといえば、習慣とは変わらないものを言うのですが、
「大きく変わらないだけに細かい変化に気付ける」のも習慣の特性です。
髪が伸びるとか、老化とか、自分の身体のことも含めて、小さな変化を見逃さない。
習慣とは実は、変化の否定ではなく、変化の肯定です。

生活の話

結局まだ言いたい事を言えてないのですが、
僕は「変化の肯定としての習慣」を生活に取り込もうとしています。
その一態様として、思い付いた生活習慣の変化を受け入れることにしています。

何か生活の改善が必要と思われて、その解決となりそうな方針を思い付く。
自分なりにそれを実行すればどうなるかを想像はするが、特に裏付けを求めない。
思い付きを実行してみて、日が経って、身体や思考に変化が現れれば分かる。
変化が目に見えなくても、見えない部分で改善されているかもしれないし、
そもそも変化する前の自分ではないのだとすれば、前の自分の実感など分からない。

改善はプロセスだというのは、このことではないかと思います。
ここまで改善すれば大丈夫と言う時、それはそういう枠組みを拵えたからに過ぎない。
枠組みが変われば、あるいは広がれば、すぐに大丈夫ではなくなります。
これは読書についても言えることかもしれません。
読書における枠組みは「ある一冊の内側」です。
一冊を読み終え、それに続いて別の系統の本を心地よく読み始められるのは、
きっと「読書という枠組みの内側でずっと同じように振る舞えるから」ではない。

本題は…?

いつものことですが、タイトルの話まで辿り着けませんでした。
続きは次にして、最初に書くつもりだったジャムの写真を貼っておきます。
何の話かといえば、ジャム・セッションの話です。
嘘です。
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