human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

自己の定点観測、「りんとした現前」、幅のある瞬間

『「歴史」の体制』(F・アルトーグ)を読了し、二度目の再読に入っています。
8割以上が理解できず、なんとか意味が汲み取れた2割の中で重要そうに思えて印をつけた部分の前後だけを読み返すという再読。
やはりすぐには終わらない。

歴史の体制 現在主義と時間経験

歴史の体制 現在主義と時間経験

 × × ×

この本について前に書いた時↓に、最後に触れた話について。

cheechoff.hatenadiary.jp

旅行者であり作家である者は常に時間のうえで二つの寄港地のあいだにいる。「私は常に自分をもうすぐ再び船に乗り込む船員としてみている」。

p.159

この記述を読んだからなのか、記憶が曖昧ですが、本のこの部分の下にある空白に、「定点観測」という(僕が書いた)メモがあります。
そして「定点」と「観測」のあいだには挿入記号があり、二段に分けてこう書かれている。

 ×から
 ○を

定点観測といえば普通は、ある場所から一定のルールを決めて経時的に観測し記録する、といった行為を指します。
これは「定点”から”観測する」、という意味合いが強い。
観測起点から眺める方角や視界を固定するなら、「定点”を”観測する」とも言えそうですが、視界という(境界の曖昧な)領域を点と呼ぶ座りの悪さからして、ちょっと無理があります。

つまり、僕がメモに記したのは、通常とは異なる意味の「定点観測」ということになります。

観測対象を固定して、その経時的な変化を考察する。
では、その観測対象とは?

上の引用の少し前にはこうあります。

記憶とは、「言語という手段を通して時間制の中で自分を煎じ詰めるこのような時間のエクリチュール」の媒体なのである。ある意味、シャトーブリアンは最初の、自我=歴史家である!「私の最初の著作は一七九七年のロンドンにおいて、最も最近のものは一八四二年のパリにおいて完成した。この二つの日付のあいだには四七年以上の歳月があり、それはタキトゥスが人生の長期間とよぶ年数の三倍である。『一五年と言えば、人間の生涯で相当に長い期間である(Quindecim annos, grande mortalis aevi spatium)』。

p.158

結果的にそう自覚せざるを得なくなった、ということですが、歴史家であるシャトーブリアンは、その生涯の大半を「自己の定点観測」に費やした。
というのは、彼が「古代史を書くあいだ、近代史が扉をたたいた」、彼が積み上げている仕事が日に日にその鮮度を失っていくような根本的な歴史の変わり目に、彼が生きていたからです。

「(…)しばしば、夜の間に、昼に下書きした見取り図を消さなくてはならなかった。出来事は私の筆よりも速く流れたのだ。私の比較をすべて間違ったものにするような革命がおこった。私は嵐の間、大きな船の上で執筆をしていたのであり、私は、瞬く間にすぎさり舷梯に沈んでゆく岸辺をまるで固定した事物のように描こうとしていたのだ!
(…)一八二六年の序文と日付が打たれた注解は重要である。ここで示されているのは、同時代人にとって最も衝撃的なことであった。時間の加速化の感覚、それはつまり基準点の喪失である(船は攫われ、岸辺がめまぐるしく現れる)。現在は捉えどころのないものとなり、未来は予測不可能となり、過去さえも理解不可能なものとなる

p.145

話が(良い方に)逸れて、本書のテーマの話になりますが、ここに「現在主義の萌芽」が描かれている、と今引用しながら思いました。
多少の誇張を感じるかもしれませんが、直上に引用したこと、「時間の加速化の感覚」、「基準点の喪失」、これらは現代の誰もが認識していることだと思います。
ただ、「現在主義」と今呼ばれている状況は、それが世界に蔓延している、誰もが自覚せざるを得なくなっているということは意味していても、現代特有の状況ではない。
多分ですが、シャトーブリアントクヴィルといった人は、過去に幾度もあった歴史の転換期に生き、それに伴う「時間の加速化」を経験しかつ(当時はおそらくほとんどいなかった)認識もし、そのような激変にどう対応(適応)していったかが本書には書かれている。

そのなかで、シャトーブリアンはこの状況をどう受け入れていったか、これが話が逸れる前の本題だったのでした。

彼の姿勢というのか、歴史の転換期における状況判断について、うまく書かれた部分があります。

ある者たちは「我々の時代の先をゆき」、その一方で別の者たちは「一七九六年にあって一四世紀の人間のままであろうとする」。いずれにせよ、誰も自分の流れから移動はしない。二つの岸辺、二つの「歴史」の体制の間で。『歴史に関する試論』以降、シャトーブリアンは時間の中に身をおき、時間の中で思考し、時間の思想をもつことを選択した。その思想は「時間によって構成され、その秩序に組み込まれることで練り上げられた」ものである。もしくは[ハンナ・]アレントのイメージを繰り返すならば、彼は時間の裂け目に留まることを選択したのだ。

p.144-145

「誰も自分の流れから移動はしない」。
一読して、不思議な表現だと思いました。

例えて言えば、島内で自給していた都市にある時、新しい船が続々と作られて、未知の土地へ向けて船出するか、島に残って旧態の生活を維持するかという二つの大きな流れが生じる。
何の因果か、少なくとも自分には関係なく訪れたと島民の皆が思う大きな岐路。
ところが、そのどちらを選ぼうが、それは「自分の流れ」である。
…どういうことだろう?

自分で書いていてよくわかっていませんが、いま引用したことは、現代社会をも表現しているのではないかと思いました。
現代では、岸辺は二つに留まらず、続々とその姿を現し、しかも「過ぎ去らないもの」や「消えたと思ったら再び現れるもの」が後を絶たないのです。


現在主義のキーワードの一つは「無時間モデル」です。
過去を統計処理し、正確な未来予測の入力データとする。
過去と未来の、現在との間にある超えがたい要素であるはずの「時間」を限りなく無効化して、過去も未来も現在に組み込まれる。

だから、現在主義に対して呑まれない、少なくとも冷静な視点を保つために注目すべきは「時間」、その実質や感覚あるいは概念であり、本書にあるシャトーブリアンに関する記述にはそのためのヒントが数多く含まれていると思います。

 × × ×

話が収束しないので、最初に書きたかった話に移ります。
「自己の定点観測」について書こうと思った時に、ふと最近読んだ本の中の「りんとした現前」という言葉が浮かんだのでした。

わたしたちの経験とは、「かすかな予感とただよう余韻とりんとした現前との、息づまるような交錯[中井久夫の言葉]」としてある。世界は、存在する事物の全体として捉え返される前に、まずは「徴候の明滅するところ」「存在の地平線に明滅しているもの」としてある。

p.170 (鷲田清一『哲学の使い方』岩波新書1500)

なぜ今この言葉を思い出したか、
ここまで書いてきたことをもう一度上から読んでくると、少し分かりました。

「りんとした現前」、そう呼べるような場所や物(人は別ですが)が現代の都市生活にはほとんど存在しない。
この新書を電車の中で読んでいて、ここを読んだ時にそう思ったせいか、不意に目が潤んでしまったのを覚えています。

それはなぜだろう?
それに、なぜ「人は別」なのだろう?

その答えは、まさに「そこ」に書いてあるのでした。

「りんとした現前」は、「かすかな予感」と「ただよう余韻」を避けがたく帯びている。
人間は、面前の人が自分と(知り合いか否かに依らず)「関係がある」と思った時、その存在感を己が身にひしひしと受ける。
なぜなら、その人の現前に対して、(意識的にせよ無意識にせよ)予感と余韻を読み取ろうとするから。

これを、「りんとした現前」には時間の幅がある、と言い換えることもできます。
目の前にいる人に対して、自分が経験しなかったはずのその人の未来(予感)と過去(余韻)を感知する。
五感のセンサーを最大限に鋭くすることは、実は、今の今しかないはずの現在の、その「瞬間」から「間」を広げていくことでもある。

こう考えた時に、「現在主義」がどのようなものか、その性質を逆照射することができます。


ちなみに、今では貴重となった「りんとした現前」を感じられる場所について、最近読んだのを思い出しました。内田樹氏のいう、(氏の理想の)図書館、宗教施設、道場などがきっと、そうなのでしょう。

図書館とは、そこに入ると「敬虔な気持ちになる」場所です。世界は未知に満たされているという事実に圧倒されるための場所です。その点では、キリスト教の礼拝堂やイスラムのモスクや仏教寺院や神道の神社とよく似ています。そういう「聖なる場所」にはときどき人がやってきて、祈りの時間を過ごし、また去ってゆきます。特別な宗教的祭祀がない限り、一日のうちほとんどの時間は無人です。美しく整えられた広い空間が、何にも使われずに無人のまま放置されている。
(…)
超越的なもの、外部的なもの、未知のものをある場所に招来するためには、そこをそれだけのために空けておく必要があるということはわかりますよね。
 天井までぎっしり家具什器が詰まっていて、四六時中人が出入りしている礼拝堂は祈りに向かない。当たり前です。ある範囲の空間内に「何もない」こと、ある範囲の時間内に「何も起きていない」ことがある場所を霊的に「調える」ためには必要なんです
blog.tatsuru.com

「巣箱型図書館」をつくろう

オフィスに書庫を作ろうと思ったのは半年以上前で、相変わらず進捗は遅々としていますが、いつだったか、書庫の設計中に紀伊国屋で本を3冊買いました。設計用にと構造力学の入門書(結局読んでませんが…)と、図書館関係の本2冊。

後者のうち読んでなかった方を、ようやく今日手にとってみました。まだまえがきしか読んでいませんが、いろいろ想像が膨らんだのでメモしておきます。思いついたことの、具体的な方法とか先例とかを調べる前に、自分の思いつきをそのまま形にしておいた方がいいかと思ったので。

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マイクロ・ライブラリー 人とまちをつなぐ小さな図書館

マイクロ・ライブラリー 人とまちをつなぐ小さな図書館

  • 作者: 礒井純充,中川和彦,服部滋樹,トッド・ボル,まちライブラリーマイクロ・ライブラリーサミット実行委員会2014,坂本伊久子
  • 出版社/メーカー: 学芸出版社
  • 発売日: 2015/04/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る

アメリカのトッド・ボルさんという人が2009年に始め、14年秋には世界75ヶ国、2万ヶ所に広がったという、「リトル・フリー・ライブラリー」=小さな巣箱型図書館というものがあるそうです。

図書館司書講習のとき、教室に展示されていた本に、世界の街角のいろんなものが図書館(本棚)になっている写真集がありました。電話ボックスとか、保冷庫(冷蔵庫?)とか、太い丸太の中をくり抜いて立てたものとか。これらも多分「巣箱型図書館」の一種だと思います。

その運用の仕組みは写真集に書いてはいませんでしたが(いや、英語だったから読み飛ばしたのかも)、鉄道文庫みたいに、借りてちゃんと返す人、そのまま持っていく人、自分の本を置いていく人、等々いろんな利用者がいて、管理者の気配りと寛容さ、プラス利用者の自由とが文庫の鮮度を保っていく、そんな形だと想像します。


話を戻せば、フリーライブラリーの「巣箱型」という表現が、いいなあと感じたのでした。

大阪・九条のオフィスの入り口横に、販売用の移動式本棚を置こうという計画はありました。当初のそれは、古本屋がよくやるような「100円均一ワゴン」のイメージで、鎖書としてリンクづけができない本を無人販売の形で売るつもりでした。

でも、書庫を作ってみると、意外に外観も実用一点張りというほどの無骨さはなく、照明の工夫をすれば「開架」書庫になるのではという司書講座仲間のアドバイスをもらいました。そこから、インターネットだけでなくオフィスのある地元に対して、本や読書を通じての繋がりを作れないかと考え始めました。


「リトル・フリー・ライブラリー」の話を読んで、無人販売じゃなくて、巣箱型図書館を作ればいいじゃないか、と思い立ちました。

棚板の材料は在庫があり(まだ作業途中なもので…)、加えてφ200mmだったか、太い丸太が2本あります。丸太はもともとまるみつのバランスボード的なものを自作しようと、書庫用木材と同時に買ったものでしたが、「巣箱」の足に使えそうな気がしています。

末広で自立できるようにした丸太の上に、二段ほどの書棚を乗せます。棚の背面は薄い木、全面はアクリル板で中が見える蝶番式の戸にして、屋外に置いても中身が濡れないようにする(塗装もしないとですね)。棚に本を入れる。本の隙間、あるいは書棚の下にスペースを作って、ノートを入れる。簡易の貸出帳。棚に入れた本のリストがあり、各書名の横に記入欄がある。名前(ニックネーム可)、貸出日、返却日、この3つが横に繰り返し並ぶ。

この「巣箱」を置くことで、地元の読書事情を知ることができるのではと思います。今後どう展開するかはその時次第ですが、まずは、一人でコツコツ(本の整理とか)作業している状態から、他人とのやりとりに繋げる状態に持っていければ、展望は一気に開けるのではという気もします。

ネット鎖書店の方も、準備はけっこう進んでいるんで、時間のあるうちに、同時進行でいきます。


いやしかし、「本の本」はいいですね。ちょろっと読んだだけで、本の仕事に対するモチベーションがぐっと上がります。丁寧にちびちび読み進めようと思います。

のみのいちへいく

一冊の本を長く続けて読めないことを、能力の欠如(減退)だと思っていましたが、あるいはそれは、別の能力が発揮されたことの結果なのかもしれない。

 × × ×

電車の中である女性の顔に目が留まり、高校時代の友人に似ていると思ったあと、大学時代のサークル仲間の女性にも似ていると思う。
そこで、僕の知人二人の顔の造作が似ていることに初めて気が付く。

それは気付かれていなかった事実で、その事実が二人のあいだに(主に前者から後者に対して)及ぼした影響を浮上させ、印象の歴史が塗り変わる。

そういう想像が、また後者から前者に対して影響を与える。


初めて会った人に対して「この人は誰か(あの人)に似ている」という思いを頻繁に抱くようになったのは、いつ頃からだろうか。
その変わり目は、インプットしてきた他人の顔が「ある閾値」を超えたから、というものではないはず。
もっと、抽象的な境界。

執着してしまう過去が自分の中に生まれたか。
顔の認識における、分析や客観的視点というものを手に入れたか。

あるいは読書によって。

 × × ×

今日、四天王寺で毎月開催されている「蚤の市」へ行きました。
「戦利品を獲得する」というような気負いはなく、リュックは持たず、背負うタイプの小物入れだけ。

欲しいな、と瞬間的に感じるものはいくつかありました。
鉱物の原石やアクセサリーなどは相応の値段でしたが、破格なら買っていたかもしれません。
ただ、価格に抵抗のない、持っていてもよい小物を見つけても、ひとしきり考えたのち、再度手に取ることはありませんでした。


「なくてもいいもの」があること、「必要でないもの」が手に入ることは、ある種の豊かさの指標です。
でも、その指標がいつでも豊かさを示すわけではないと思います。
つまり、そこには閾値がある。
「なくてもいいもの」の山に囲まれ、「必要でないもの」を買い漁る生活において、かつて豊かさであったものは既にその姿を変えている。

欲望は制御すべし、倹約が大切である、などと言うつもりはありません。
ただ、そういうことがある、閾値というものがある、それを知っているだけでいい。
結果が、日常生活での行動が変わらずとも。


自覚とはそういうものです。
自覚は、何かを期待するためにするのではない。
敢えて言えば「何かを期して待つ」。
その「何か」の内実は問わない。

なぜなら、自覚そのものは(たとえば)プラクティカルという思想の前提にあるからです。

たとえば、反省は「プラクティカルな形式の自覚」と表現できる。
つまり、自覚は反省の上位概念です。


何の話を…
『哲学の使い方』(鷲田清一)という新書の、タイトルが直截過ぎて「ワシダ先生も疲れてるな…」などと読む前は思ったんですが、(電車の中で)読み始めると、とても面白いのです。
だから、色々と考えてしまうのでしょう。

哲学の使い方 (岩波新書)

哲学の使い方 (岩波新書)

功利的な記憶、一億総葬送、そして椎名林檎

フランス革命の頃の、アントワーヌ・クリゾストム・カトルメール・ド・カンシーという人の文書から。

「誰が我々の精神にこれらの彫像が意味するところを知らせるのだろう? これらの彫像の態度は、何を対象にしているのかわからず、表情はしかめ面でしかなく、その付属物は謎と化しているというのに?(…)これらの墳墓なき霊廟、ただでさえ死者がその下に眠っているわけではないので、二重の意味で空である死者の記念館(メモリアル)がわたしに何を口にするというのか?」
(…)
「このようにバラバラな断片を集めて、欠片を方法に基づいて分類して、あらゆる記念物を移転させること。そして、このような寄せ集めから現代の年代記の実習を行うこと。現行の理由では、それは、自らを死んだ国家として構築するということである。生きているときから、その葬式に参列しているということである。それは芸術を歴史とするために殺すことである。というより、芸術を歴史とするためではなく、墓碑となすためである」。

「第5章 遺産と現在」p.292 F・アルトーグ『「歴史」の体制』

読み始めて半年。
アルトーグ氏のこの本は相変わらず難しい本で、分かる所、というか分かりそうな箇所で止まって、何度も読み返して自分なりになにがしかのイメージを得て先へ進む、というゆったりとした歩みで読み続け、なんとか終盤まで来ました。

この章(第5章)の最初のほうで「現代はやたらと記念行事が催される」という話から、中世フランスや古代ヨーロッパ(たとえばローマ帝国)における歴史的記念物、博物(館)、記憶と革命といった概念の発祥と変遷について、プリニウスだのキケロだの、どこかで聞いたような歴史人物の(著者の視点に基づいた)偉業と発言を取り上げながらの説明が続く。

明らかにキーワードとして頻出する「教訓的歴史」も、「時間の廃墟」あるいは「時間秩序の(深刻な)危機」といった表現も、重要な意味を秘めていることが明白ながらよく分からず括弧に入れて読み進め、けれど上に抜粋したところを読んで、ふいに色々とイメージが生まれ、リンクが繋がる気配を感じたので、なんとか言葉にできないかと思って今書いているところです。


抜粋したのは、「プティ・オーギュスタン僧院にある国家財の集積をもとにして、アレクサンドル・ルノワールによって着々とつくりあげられていた(p.291)」フランス記念美術館の理念に対して、カルトメールが非難した文書からです。

二重の意味で空であるメモリアル、という表現も想像を刺激しますが(埋葬する死者もなく、墓石すらなく、しかしその更地は墓地であるという。記号を伴わない意味には無際限に膨張する怖さがあります)、引用後半の、畳み掛けるように連なるメタファをを目で追って、まず「とてつもないスケールのことが語られている」と感じました。

この本の中で僕自身が理解できる箇所が少ないから、唐突にイメージが喚起される場所に出会うと文脈を無視して想像が膨らんでしまう、ということもありますが、本の副タイトルに含まれる「現在主義」のエッセンスがここ(だけではないですが)に詰まっているのではないか、と。

 × × ×

「記憶」という言葉は、日常的には個人スケールで語られますが、本書では政治的な意味で、「歴史」と同じスケールで取り上げられています。
それはそうとして、その「記憶」という言葉の成り立ちについて、ふと考えてみたのでした。

記憶、あるいは追憶、と言います。
「憶」はよくわかりませんが、りっしんべん(と打つと「忄」が変換されました。出るんですねえ)、心が付いた「意」である。
たぶんこれらの言葉は「蹴球」などと同じく動詞と目的語の関係にある二語で、つまり「憶」を記す、または追うわけですね。

 では何を、記述したり追いかけたりするのか。
 あるいは、何のためにそんなことをするのか。


まずその対象は、今そこにあるもの、そのままの姿であり続ける(と予想される)もの、ではない。
ずっとそこにあるなら、いつでも見られるし、使えるし、居ることができる。
そうではなく、今まさに形を失おうとしている、解体や消失の際にあるからこそ、それが記憶の対象となり、そうして失われてしまったものに対して追憶の意思が生まれる。

 フランス語では、最初に建物をさして「歴史的記念物(monument historique)」という言葉が使われたのは、ルイ=オーバン・ミランにまで遡る。一七九〇年のことである。(…)この年号の前には、フランスにおいては歴史的記念物がそれとしてはっきりわかる形で存在していなかったのだ、結論づけるべきだろうか?
 そう断定するのはいささか行きすぎであろうが、次の点を明らかにしておこう。すなわち、ミランによって描写された最初の歴史的記念物とはバスティーユのことであり、それは取り壊しの最中であった。それは歴史上のものであり、消えゆくものであった。彼の『論集Recueil』の存在理由は、突如として国の財産となったものの、完全にその地位と外観が変わってしまったこの建物と事物の全体の目録を作成すること自体にあった。

同上 p.269

そして、何のために?


最初の引用のなかで、強く目を惹いたのが「葬式」という言葉でした。

葬式は、形式は多々あれど、歴史を遡れば人類の起源にまで至るといいます。
正統な学説かどうかは知りませんが、他者の死を弔うようになって初めて人類は人となった、という見解に対して、僕は一定の説得力を感じています。
そこまで大げさに捉えなくてもいいのですが、葬儀・葬祭の目的は、現世的なあるいはプラグマティックなものではない…ということがまだ常識に属するかが不安で、このあたりのことは書いているだけです。
葬式にかかる費用は原価計算をするときっと気が狂うほどのもので、しかしそういう(弔事においてまともな金銭感覚をはたらかせるという)発想自体がタブーであった時代が長くありました。

古い小説で時々出てくる、「通夜の席で故人にまつわるエピソードを語り合ってその人を偲ぶ」という場面と似たような機会が、僕には一度だけあります。
大学を卒業して院に進んだ頃、大学のサークルの友人がアメリカで亡くなって、四国であった彼の葬式に参列しました。
そして車で行ったその帰り、同期のメンバー10人ほどで、大学時代によく行った居酒屋へ行ったのでした。
何が話題になったのかは覚えておらず、どんな雰囲気だったかも記憶にありません。
今その時を振り返って、事後的に印象を作り出しているだけかもしれませんが、その時の僕は、一連の流れに抗いがたいものを感じ、また、昔のサークル仲間と久しぶりに飲んだという以上に時間が重層化しているのを感じていました。

「冠婚葬祭」と一息で並べられる行事のなかで、今あらためて考えると、僕が最も現世的でないと思うのは断然に「葬」です。
上に書いたように、現在の自分の都合や利益を鑑みる場ではないこともあり、また時間感覚として、今現在から離れていく浮遊感、落ち着かなさといったものもある。
後者について付け足せば、それは「そうしているから落ち着かない」のではなく、「たぶんこの落ち着かなさはこういうもので、そうしていなければ(=葬送の儀に参加していなければ)もっと落ち着かないだろう」という感覚。
わかりにくいですね。


話を戻します。

端的にいえば、記憶や追憶の機能は現世的な効果とは、本来は結びつかない。
でも、現代はそうではない。

失われたものを、功利的な要求に基づいて、別の形式で復活させるための記憶化。
あるいは今ここにあるもの、隆盛であり消失の兆候すらないものを、称え、より大きな権威を与えるための記憶化。

現在では「記憶」の意味が変質している。

そして、それはそれとして、僕が衝撃を受けたのはこういうことです。
冒頭の引用部を一部、再掲します。

それは、自らを死んだ国家として構築するということである。生きているときから、その葬式に参列しているということである。それは芸術を歴史とするために殺すことである。というより、芸術を歴史とするためではなく、墓碑となすためである

言葉は、時代に応じてその意味を変えていきます。
言葉は、言葉が持つ意味を伝えるためにその言葉を用いるだけではなく、言葉が用いられた状況が言葉に意味を背負わせるからです。

でも、言葉の意味は、完全なる状況依存ではない。
言葉には、あるいは人間集団(社会)には、時間の厚みがあるからです。

だから、現代では意味が変わったとされる言葉を現代的に解釈した行為が、かつてその言葉が持っていた旧態の意味によって照り返される、という事態が時に起こります。

この引用のメタファーが恐ろしいのは、おそらくそういうことです。

 × × ×

6年のあいだ勤めた研究所を辞め、内省的な日々を送りながら四国遍路へ行く準備をしていた、2016年の大晦日のこと。

毎年実家で見ていた紅白歌合戦の、その年は椎名林檎だけが恐ろしいほど浮世離れしていました。
一人でテレビ画面にツッコミを入れ続ける母の横で、僕は目を潤ませながら一心に魅入っていました。
都庁からのLIVE中継による彼女の演奏を見て、その日の僕は「これは何の服喪だろうか」とブログに書きました。
NHKスタジオの出演者の華やかさとは対照的に、彼女たちの衣装は喪服のように見えたからです。

当時のライブ映像の動画で、画質のいいものがあったので載せておきます。
再生前のCMの飛ばし方が分かりませんが、放っておけば始まります。
v.qq.com

冒頭の引用部を読んだ時に、この椎名林檎のライブ映像が頭に浮かびました。
その連想について、これは一体何なのだろうと思いながら、ここまで書いてきました。

話の結論、かどうかは分かりませんが、その自分の疑問に対して、こう答えてみます。


 あれは確かに、服喪だった。
 でも彼女らは、会場から離れたライブ映像として現れながら、僕らに一番近い所にいた。
 むしろ僕らそのものだった。

 僕らはみんな、喪に服しながら生活している。
 死者不在の墳墓なき霊廟で、毎日無邪気に祈りを捧げている。
 その祈りが、呪いでもある可能性に構わずに。



ふと思うのですが、
死者にあらざる者を悼み、弔うことは、
相手に、そして自分に何をもたらすのでしょうか?
それは、死者にあらざる者を、死者とみなすことにはならないのでしょうか?

いくつもの飛躍が介されていることを承知で書きますが、
現在主義とは、言葉を換えれば……
 

極北にて(1) - 想像の橋をリアルに渡る

 今でもなお私は考え続けている。私がそれまでくぐり抜けてきた苦難を、それだけの価値はあったと思わせてくれる何かが、その飛行機に積まれていた可能性はあったのだろうか、と。
 そこに何があったかではなく、そこに何があり得たかと、今こうして考えを巡らすことはとてもむずかしい。
 それはとりもなおさず、何があり得たかというきわめて脆弱な形状の上に、鋼鉄の線路を敷くことなのだ


マーセル・セロー『極北』 太字部は文中傍点部

歴史に「もし」はあり得ない。
これは学問として歴史に関わる際に、よく用いられる戒めの言葉です。
個人史のスケールでは、後悔しても実がない、覆水盆に返らず、といった認識の仲間でもある。

これとは逆に、「もし」という過去の可能性から歴史を問う、系譜学的思考と呼ばれる思考法があります。


「(実際に)ある出来事がなぜ起こったか」ではなく、「(可能性としてあり得たのに)ある出来事がなぜ起こらなかったか」という視点で、過去に想像力を適用する。

歴史は、必然の糸が整然と編まれた頑丈な一本の縄ではなく、無数の結節点を持ち複雑に絡み合った蜘蛛の巣のようなか細い網状の集合体において、その分岐の一つが切れるという無数の偶然が折り重なった結果として残る、ボロボロによれて垂れ下がった糸のようなものだという発想。

目的地に到達するまでのルートをたどりなおすのではなく、途中にいくつもあった曲がり角や三叉路を思い浮かべ、それらの分かれ道の、自分が選択しなかった一つひとつを頭の中で選び、歩を進めていく作業。


系譜学的思考は、通常の過去に対する因果的分析とは、根本的に頭の使い方が異なる。

そういった、形式的というか、構造の違いをとらえる考えは、抜粋の下線部と同じような文章を読んだ時によく思い浮かべます。
けれど、これを読んだ時、鋼鉄の線路という比喩が僕の中に力強く響きました。


たとえば「砂上の楼閣」と言った時、楼閣すら砂でできているんじゃないかと思うほど、それは脆くはかない印象を持ちます。
本来は、どんなに堅牢な構造物であっても土台が軟弱だと崩れ落ちる運命にある、という謂で、楼閣の素材はむしろ高強度なものであるはず。
それが、僕がこの言葉と出会った文脈のせいかは分かりませんが、その時頭の中で砂塵が吹き荒れでもしていたのか、僕のイメージする砂上の楼閣は、地盤が揺らぎを見せる前から既に崩れ始めています。

それが、いや…
今書いていて思いついたのは、楼閣自体が脆いのは、僕の「想像物に対する儚さ」という認識の表れではないかということ。
が、本題はこちらで、この思いつきがこじつけかどうかとは別に、"きわめて脆弱な形状の上"に敷かれた"鋼鉄の線路"というイメージが、砂の上に築かれた建物が頑丈であり得ること、さらにはその建物が地盤沈下が起きても構造を保ちうること、の印象を僕に与えてくれたのでした

 × × ×

想像は、いかようにもなります。
想像力があればというよりは、リミッタを外せさえすれば。
言い方を変えれば、想像力のない人間なんていないとすら思っています。
生存競争というプラグマティックな要請が、意識的かつ無自覚に、幾重にもリミッタをかけるというだけのこと。

それはよくて。

想像で、人はなんでも作れるのです。
その気になれば、川に架ける橋、海をまたいで大陸に架ける橋、あるいは宇宙空間をつらぬいて月に架ける橋だって、作れる。

ところが人はその橋を渡らない。
頭の中で、想像の続きとして、渡るかどうかという話ではない。
そもそも、イメージとして生まれたそれは、渡るために作られた橋ではありません。
作りたいから作った、純粋な好奇心に基づいて生まれた橋。

それは建築家にとって、もっと広くはクリエイタにとっては、恵まれた境遇の産物なのかもしれません。
現実として、質量を持ったそのような橋が、世界のどこかに存在するかもしれない。

でも、橋は誰かが渡るためにある。
川を飛び越えて、線路を飛び越えて、人の往来を生み出すために。
想像の橋にも、同じことが言える。
言えるはずが、今までこのことについて考えたことがなかった。



渡るための、想像の橋。
それはきっと、脆弱な形状の上に、鋼鉄の線路を敷くようなもの

必要なのは、材料の強さではなく、土台の強さでもなく、想像の強度。

そして、架けようとする者を、渡ろうとする者を、変容に導く

渡った先にあるものの全てを、彼は受け入れる。
なぜなら、それらは彼自身だから。

振り返った彼の目に、渡ったその橋はもう映らない。
なぜなら、それは彼の一部となったから。
 

ボルダリングジム遠征記録から何を生むか

ここ何週間か、忙しい日々が続いていたのが、今日でひとまず一段落つきました。

仕事が立て込んでいるうえ、長距離ランナーの早朝ジョギングのようにボルダリングが完全に生活の一部になっていて、デスクワーク続きで調子が悪くなる前に登りに行っていたので、週末も含めて一日家でゆっくりする日がしばらくありませんでした。

出ずっぱりの日が続くと、それはそれでどこかで風邪なり引いて調子を崩すのも以前の傾向だったんですが、今回なんとか持ちこたえたのは、適度に登りに行って身体周期(使ったり休んだりということ)がうまく流れたからだと思います。
あるいは、仕事の重圧感というか責任感のおかげかもしれなくて、こちらだと(一時的にせよ)開放された今日明日にでも風邪を引きかねませんが…

さておき。

文章を書くというか、頭の中で論理を組み立てることをしばらくしていなかったせいか、今こうして書きながらも頭の回転数が低いなあと感じています。

書く習慣も、書かない習慣も、どちらも続けば習慣と化す。
恐ろしいもので、気をつけていないと、ふと気付いたときには前の習慣のことがすっぽりと頭から抜け落ちることにもなる。
知らぬが仏、忘れたもの勝ち、と開き直るには、まだ(少なくとも身体は)若い。
脳年齢というのは、ひょっとして思い込みでどうにでもなるのでは…

飛躍してますね。本題に入ります。

 × × ×

今回のごとく忙しい時期もなんとかコンスタントに登っていて、オフィス近くのホームジム(大正区のガレーラ)の月パスを持っている期間はほぼそこに行きますが、パスが切れた時期や今月のようにホームジムの課題が少ない(先月末に壁一面ホールド替えがあって、今月末までマンスリー課題がないのです)時は別のジムへ行きます。

行ったことがあって、月イチくらいで行っておきたいジム(梅田のボールド、江坂のクラックス大阪、香里園のルクルなど)のほか、行ったことのないジムにも時々行きます。
ホームジムでいつも同じ時間帯に登る仲間が何人かいて、予定が合えば外ジムでも一緒に登ることもあります(自分が命名した「ガレーラ昼組遠征班」のメインは現在3人です)。

新しい所へ行くとみんなで情報交換をするんですが、ついさっきその仲間から「遠征記録をブログに書いてみたら」と言われて、ちょっと考えてみようかと思いました。


僕は技術的にそれほど上手いわけではありません。
登り始めてちょうど2年くらい経って、どこのジムへ行っても4,3級あたりがちょうどよいレベルで、スラブや垂壁のバランス系課題なら時々2級も登れる、という程度です。

だから、なのかどうかはわかりませんが、ジム紹介とか、特色の解説とか、そういったことを書くには未熟というか、たぶんクライミングスタイルが偏っているので(相対的に、体幹・足技系は強くて強傾斜や指酷使系は弱い。キャンパーを全く触らないので指パワーが不足気味)、どこのジムに対しても同じようなことを書きそうな気がする。

いや、内容どうこうより、僕がこのブログ全体で貫こうとしている、「書きながら考える、書くことで新しい何かに気付く」という意志に沿ったことを書きたい。

そうすると、知っていることを書くというよりは、よく分からないが考えてみると面白そうなことを書く方がいい。

自分が行ったジムに対してそういう意図で書いた文章を何と呼べばいいのか、うん、今書いていて、よくわかりません。

でも、そういうことこそ、書くに値することのようなのです。

 × × ×

身体感覚というのは、頭で考えたことよりも、ずっと深く残っているようで、あっという間に消え去ってしまうようでもある。
それが矛盾ではないのは、感覚としては身に刻まれていても、言葉にするには(時間が経てば)手応えがなくなりすぎている、といったことだと思います。

だから、以前の身体記憶を掘り起こして文章にするのは大変な作業だとはわかっているのですが、それでもとにかく、やれるものならやってみよう。


岩手のジム(花巻市クラムボン。もはや時も距離も遠いなあ)で始めて、1年は花巻に籠り(そのあいだに盛岡の2ジムにも行きました。正月のクラムボンでは帰省していた伊藤ふたばを見かけました。知らずに見ると普通の女の子でしたね)、大阪に来る前にドライブ旅行で全国(東北〜四国。新潟のクラウドナイン、滋賀のグッぼる、愛媛のイッテなど)のジムを巡り、鶴見区→北区と大阪に来てちょうど1年経つまでに大阪・京都・兵庫のジムへ行き。
単純にカウントすれば、20は超えて、30近くのジムへ行ったことになるでしょうか。

その数自体に価値があるわけではなく、数が意味するのは多様性、その多様性は言葉にする緒(いとぐち)の多さに結びけることができます。



と、意気込みだけだらだらと書いてきました。
思えば節目としてキリのいい時期でもあるので、ちょっと余裕ができるはずの来週から、ちょくちょく取りかかれればと思います。


…続き物の記事を初っ端から放り出すのが本ブログの習慣になってしまっていますが、「続けたくない習慣」はどこかで打ち破らねばなりません。

高度情報社会と視線過敏症、いつも彼女たちはどこかに

「見る」ことと「見られる」ことの間には、バランスがある。
自分が誰かを「見る」とき、見ている分だけ自分は誰かに「見られて」いる。
たぶん、そういう視線交換回路、または視線交感回路のようなものが、人には備わっている。

その回路は、生身の他者を前にしていない場合にも活動する。

人に見られていると過剰に意識する、プライヴァシーを社会現象にまで押し上げた思い込み。
もちろん実際に「見られ過ぎて」いる例はほんの一握りに過ぎないにもかかわらず、そうと知りながら誰もがこの思い込みに共感してしまうのは、僕らが他者を「見過ぎる」ことができるようになったから。

つまり、視線を感じる自意識過剰はバランサーとして機能している

たぶん、現代社会での生活においてそれが人性の自然で、この思い込みを非現実的と断じて意識の外に追いやる試みはすなわち、抑圧を出来する。
抑圧されたものは、別の形をとって回帰してくる。
自分が何かを抑圧した事実を忘却することで(その事実を忘却していることが、抑圧が成立している証である)、新たに降りかかる現象や症状をその事実と関連付けることは不可能となる。

抑圧の回帰か、回帰ごと抑圧を封じ込めた結果なのかは分かりませんが、指向性の無神経、選択的な感性の欠落という現象はきっと、これらのどこかと関係しています。

「人性の自然」などと書きましたが、その実情を言い換えれば、視線交換回路なるものの焼き切れんばかりの暴発が日常茶飯事である、ということ。
その自然を守り抜くのが楽か、回路の配線を切ったふりをするのが楽か。

これを問題というには簡単に過ぎますが、答えが正解とは限らないのもまた人性です。

 × × ×

 現在のメディア経済は絶えず出来事を作り出し、そして消費し、テレビがラジオにとってかわった。しかしひとつの特殊な点をもって、である。現在は、それがつくられるまさにその時、すでに歴史的に見られること、つまりすでに過ぎ去ったこととして見られようとする。現在は、ある種自分自身にむかって回帰し、それについて人がもつだろう視線を予測する。完全にそれが過ぎ去ったときに、まるでそれが過去を「予見」しようとしていたかのように、その視線はまだ完全には現在として生起する前から過去となるのである。しかし、この視線は、まさに現在の視線なのである。

「第4章 記憶・歴史・現在」p.195(フランソワ・アルトーグ『「歴史」の体制 - 現在主義と時間経験』)

読み始めたのが去年の暮れのことで、内容が難しくてなかなか前進しませんでしたが、今日第4章を読み始めて、話題が現代に移ったからか急にするする読めるようになりました。
これはまた、サブタイトルにある「現在主義」という言葉から僕が想像していた内容のことが書いてあったからでもあります。

とはいえ、引用の文脈を説明できるほどではないのでちょっと手を抜きますが、上のような話に続いて現れた一節に、連想思考を刺激させるものがありました。

 現在は、自分が自分を見つめるものたろうとし、それに執着することの不可能性を見いだす。(…)経験の場と期待の地平のあいだに絶えず穿たれる乖離、つまるところ断絶を埋めることができないことがあらわになる。自分の泡につつまれて、現在は自分の足元で地面が崩れ去るのをみいだす。

同上 p.202

『いつも彼らはどこかに』(小川洋子)という短編集を、昨日あとひとつを残すところまで読みました。
全体のテーマとか、作者の意図のようなことはあまり考えようとは思いませんが(保坂和志を読んでいるとそうなります)、と言いながらちょっとだけ書けば、どの短編にも動物が出てきてその生態が細かく描写されるいっぽう、その動物に共感を抱く人物が出てくる。
あるいは、独自の習性や嗜好をもった動物のような人物が描かれる。

まあそれはよくて。
この本をだいたい一日に短編1つのペースでゆっくり読んでいたのですが、昨日は一気に2つ読んでみて、(あるいは風邪を引いた鈍重な僕の頭のせいかもしれませんが)これまでとずいぶん毛並が違うなあと感じたのでした。
あとの短編になるにつれ、伏線の放置が増えるというか、なぜこういうことを書いたのか分からない話が増えるようで、いやこんな分析を別にしたいわけでなく、でも昨日読んだ2つには特徴があるように感じました。


動物園の土産物売り場で働く女性を描く「チーター準備中」、それと、カタツムリを飼う風車守の男のもとへ通う女性の一人称語りの「断食蝸牛」(ゲーテだったかな、「断食芸人」というのがありましたね)。
2つの短編のいずれの女性も、他者の視線を偏執的なまでに気にかけている。
 ゾウの視線、チーター飼育担当の青年の視線。
 風車守の視線、療養施設の掃除婦の視線。
そして、どちらかがその代償であるかのように、彼女たちは他者を執拗に凝視し、自分の中で妄想を膨らませる。
それが私の生きがいだと言わんばかりに。

…でも、この2話だけの特徴なのかな、と改めて考えると、そうでもない気もします。

スーパーの食品売り場での試食を担当する売り子の「流しのプロ」という不思議な職業の女性が主人公の「帯同馬」、短編集の最初の1編ですが、彼女の特技というか特徴は「あたかも彼女がそこに立っていることなど誰も気付かないくらい売り場に溶け込めること」。
これは、視線過敏症の裏返しですね。
というのも、売り子の彼女が獲得した技術は、年齢や時間帯によって多種多様な客の視線、動線、趣向などを徹底的に研究した賜物であるはずだからです。


自分の話ですが(いや、最初から全部そうといえばそうですが)、連想のリンクはやはり直近に読んだもの同士に強くはたらくのだなと、本記事を書きながら再確認しました。
これを逆から見れば、過去に読んだ本同士を連想でつなげることがいかに難しいかを思い知らされもするわけです。
…なかなか、僕が構想している「本の仕事」は高難度だと思う次第です。


ちなみに、「帯同馬」の主人公の女性に、読んでいて僕はかなり好感を持ちました。
ハルキ小説に登場する女性と違って(それは非現実的であるからこその魅力なのですが)、彼女にはどこか「現実的な魅力」があります。
そして、いくつか前の記事に書いた「沈黙を語ること」についてのヒントが、ここにあるように感じました。
このこと(後者ですが)は、いずれ書くつもりです。
 
 × × ×

いつも彼らはどこかに

いつも彼らはどこかに

「"身銭を切る"は市場原理への反逆である」論

 一人一人のアウレリャノがどういう人で彼が何をしてきたかを憶えていれば、何人アウレリャノが出てきても混乱はしない。そういう風に記憶していくためには、『百年の孤独』は一回真っ直ぐに通し読みしただけではダメで、読み終わったところを何度も何度も読まなければならない。
 効率が悪い? そういう読み方は効率が悪い?
 読書とは効率とは無縁の行為だ。「一晩で読んだ」「一気に読んだ」という、本の宣伝文句がよくあるけれど、これくらい読書という行為の価値を殺すものはない。読書は単位時間あたりの生産性を問われる労働ではないのだ

「8 私に固有でないものが寄り集まって私になる」p.155(保坂和志『小説の自由』)

下線部について僕も常々そう思っていて、本の価格がページ数に影響されるとか、古本量販店では出版年が古ければ安くなるというように、本の内容が流通価値(つまり値段)に全く反映されていないことが、良し悪しの問題ではなくて(これは本が商品となったことの運命的結果でしかない)、本は本質的に市場原理と相容れないことを示している。

それはよくて、保坂氏ならやはりズバリと言うなと感心したというか溜飲が下がる思いがしたと同時に、ここを読む直前に読了したイリイチの本の一節を思い浮かべました。
実際は訳者・玉野井芳郎氏の解説の中で本文を引用した箇所ですが、その本文の周辺も含めて引用します。

 経済学者は、自分が計測することのできる領域しか扱うことができない。非市場的な領域に侵略を開始するためには、目盛りをつける新しい物差しを必要とする。(…)ピグーは<影の価格>をそのようなひとつの用具として定義した。その用具としての<影の価格>とは、今日、金による支払いなしに行われている財やサーヴィスといったものを換算するのに必要な貨幣のことである。こうして支払われないものが、そしておそらくは価格のないものさえもが、商品の世界と矛盾するものではなくなって、操作と管理と官僚的な開発が可能となる領域へと登場することになった

「3 ヴァナキュラーな価値」p.76-77(I.イリイチシャドウ・ワーク』)

引用部の文脈で念頭にあるのは「直接的に生産性には関わらないが、生産性に奉仕する活動」で、その代表例として主婦の家事労働が挙げられています(この例だと、生産性=夫の賃金労働、です)。
イリイチはこの活動に読書を含めてはおらず、というか「この活動」とは本のタイトルである「シャドウワーク」のことで、ワークと名のつくところからして読書などの趣味は含まれないとわかります。
が、ここではイリイチの本の論旨からは離れて考えます。

本の価値が時間効率やコストパフォーマンスで測られている社会の現状が語るのは、本の本来的な価値が内容にあり、内容の価値基準は読み手一人ひとりにあるのだとすれば、本という「おそらくは価格のないもの」が、流通過程でその本質をないがしろにされた結果、「商品の世界と矛盾するものではなくなっ」たことである。

僕の連想を言葉で整理すれば、このようになります。

 × × ×

それはよくて(話が進まなくてすみません)、その連想があって、さらに思い浮かべたのが「身銭」という言葉でした。

「身銭を切る」という言い方があります。
この表現は、手持ちのお金が少ないが今どうしても欲しいものがある、という時などに使う。
語源は知らないしここでは調べずに想像で書きますが、字面からして「身を切られるような痛み」が、ニュアンスとして込められていると思います。
すると、こう考えられる。
出費が痛みを伴うのは、その出費を容認する資金的な余裕がないからである。
…ただの繰り返しですね。
言いたいのは、一般的に、お金に余裕がある時にこの表現は使わないだろうということ。


でも、もしかしてそれは違うんじゃないか、「身銭」の意味するところは一般的な意味とは別にあるのではないか…
というのが本記事の趣旨です。
話を続けます。


僕は古本屋によく行くこともあり、滅多に新刊を買いません。
新しさに価値を感じていないこと、読書を実用と切り離して考えていること、などいくつか理由はあります。
古本を買う価格感覚に慣れすぎて、新刊を高く感じるから買わない、これが一番大きいかもしれません。
理由はどうあれそのおかげで、たまに新刊を買おうとすると、すごく躊躇するし、迷うし、思考や判断に時間をかけます。
そして、さんざん悩んだ結果、本を手にレジへ持っていく時に、いつも「身銭を切る」という言葉を思い浮かべていました。

そうやって新刊本を買う時に、判を押したように繰り返される思考に対してとくに違和感はありませんでしたが、上記のようにつらつらと考えていて「あれ?」と思いました。
僕は別に、数千円を本に費やしたからといって、夕食を何日か抜かなきゃならないほど困窮しているわけではないのです。
手持ちが少ないわけでもなく、またそうしたければ、本を買うかわりに抑えることのできる余計な出費だってある。
端的にいえば、僕にとって新刊購入は「お金はあるし、そう高価なわけでもないが、それでも痛みを伴う出費」です

では、その「痛み」とは何を意味するのか?


これまで上に書いてきたことと関係しますが、この「痛みを伴う出費」とは、つまり「自分で価値を見出す(創り出す)必要のある出費」なのです。

価値がわかっていないものに対して、お金を払う苦しさ。

大袈裟に言えば、「市場原理に対する抵抗」によって発生する痛み。

あるいは、市場原理の名の下で明確かつ確固として存在しているはずの「お金の価値」が、自らに一任されているという重責に伴う痛み。


無謀で過剰な散財のことを「金をドブに捨てる」と言いますが、たぶん、これよりもっと苦しいものです。
この表現に寄せて言えば、「自分で価値を見出すべき出費」は、「金をドブに捨てることになるかもしれない出費」です。
自暴自棄であれ何であれ、通常の(?)散財では自ら了解して行うそれと違って、こちらは自分が手放したお金が無に帰すことなんて全く期待していません。


…と、思いつくまま色々と書いてきましたが、だんだん分かってきました。

「身銭」というのは、読んで字の如く、「お金を身体(の一部)のように感じる」ことである。
だから、出費が指や腕をもがれるような(ヤクザ世界の話みたいだな)苦痛にもなり、その価値が自分の身体のように社会的通念(というか概念)を離れて不安にもなる。

前者と後者とで全く異なる2つの状況が、ともに「身銭を切る」という言葉で表現できる。

面白いですね。(ほんとかな)
 

極北にて(0) - マーセル・セロー『極北』を読んで

表題の通り、図書館で借りている『極北』を読了しました。

貸出延長手続きを忘れて延滞になっていて、すぐ返す必要があります。
もちろんすぐ返すつもりですが、「読んでおしまい、さあ次の本だ」という風にはなりそうにない。
それだけ、これが僕が読みたいと思っていた本(このことにはいつも、読んでから遡及的に気付きます)、じっくり腰を据えて考えざるを得ない、そう思わせる本だったということです。

 × × ×

きっかけは、背表紙の「村上春樹・訳」が目に入って、手に取ったのでした。
著者は、今はわかりませんが、出版当時の日本では無名であったようです。
そういった著者略歴のようなことにも触れた訳者解説では、最初にこういったことが書かれています。

あとがきを先に読む人もいるだろうから(別にそういう姿勢を批判しているわけではない)、ここでは本の内容には触れないが、著者がなぜこの本を書くに至ったか、その事情は知っておくべきだと思うので記す。

「その事情」を読んで、「なるほど」と思う。
このような経緯があって、セロー氏はこの本を書くことができたのか、と。
でも僕は訳者の、解説におけるこの作品への気遣いを了解したうえでなお、解説をあとで読んでよかったと思いました。


「物語の意外性」、この性質は小説の訴求力となる、主要な力の一つであり、何がしかの読書事情によってこれが失われると、その小説の魅力の大事な部分が大きく削がれてしまう。

僕は上述の「なるほど」という事情の得心は、読後でいいじゃないかと思いました。
極端にいえば、「物語の意外性を損なわない解説」なんてものはないだろう、ということです。

個人的には、「その作品を読んで思いついた、(魅力的だが)作品とほとんど関係のない話」が秀逸な解説、もとい「悪影響のない解説」だと思っていますが、一般的な思考に基づけば、それは作品解説とは言えないのでしょう(嬉々としてそういう解説ばかり書く人を知っています。そして、そういう解説しか書き得ない本ばかり書く人も知っています。この二人が対談して出来上がった本は、そのタイトルが著者をそのまま表わすという事態になっています*1)。


言いたかったのは、『極北』はほんとうにまっさらの頭で、事前情報なしに読んでほしい小説だということです(この意味では、本記事の以下の節の内容は若干「抵触」しています)。
僕は本書を手に取った時は、タイトルと装幀から、北国の生活事情が事細かに書かれているんだろうな、くらいしか想像していませんでした。

それは間違いではありませんでした。
そしてすぐに、自分の他愛ない予想が当たろうが外れようが、そんなことはどうでもよくなりました。

 × × ×

この本からいくつか引用して、その一つひとつを思考の出発点にしよう、というようなことを考えて、本記事はその出発準備のようなものなのですが、この準備を始めるにあたって(つまり出発準備の準備中に、ということですね。ややこしい)、『時代を読む』という対談集の一節を連想しました。

この本は鶴見俊輔河合隼雄がホストとなって、二人が喋りたいと思っていた人々に(たぶん編集部が)アポをとって鼎談するという、古いですが(何しろ河合隼雄が若手の立ち位置にいるのです)豪華キャストが勢揃いした本です。

この二人と、ゲストの筒井康隆とが『文学部唯野教授』を肴に議論する章で、筒井氏はこんなことを言います。
芸術にいちばん必要なのは教養であるとガダマーはいうが、ぼくは教養とは感情移入の能力じゃないかと思う、という文脈に続いての発言。

筒井 感情移入できるということは何についても必要でしょう? 小説を書く人間もそうだし、読むほうもそうです。しかも感情移入というのはレベルがあるんですね。例えば小説を読む場合に、ふつうの人は主人公に感情移入します。少しレベルが上になってきたら、今度は作者に感情移入する。私小説なんかで言えば、作者と主人公が重なっている場合もありますけれども。あと、風景描写とか、そういった擬人化されたものに感情移入する。それから言語に感情移入する。そういうふうにレベルがどんどんどんどん上がってくるわけです。そうすると、最後にこの小説がなぜ書かれたか、世界のなかでいまどういう位置を占めるかという高みにまで感情移入の側面から達することができるんじゃないかとも思うんです。

「『文学部唯野教授』の摩訶不思議体験」p.259-260(鶴見俊輔河合隼雄『時代を読む』潮出版社、初版1991年)

感情移入のレベルがあり、それは練度によってどんどん上げることができる。
どういう感情移入の種類がどのレベルなのか、という位置づけは鵜呑みにできませんが、いろいろな感情移入の種類があるという視点はとても興味深いと思いました。
特に、「風景描写に感情移入する」という発想。

保坂和志は真逆の発想、風景(猫を含む)描写を感情移入からいかに遠ざけられるかという思想で小説を書いていますが、僕は筒井氏のこの発言と保坂氏の思想は表裏一体だと感じていて、その根拠は僕自身の中でこの両極にあるはずの2つが干渉なく落ち着いて各々の魅力を発しているからというと論理もへったくりもないですが、それはまた別の話。


『極北』を読んだあとに、筒井氏の視点を借りて、僕はこの小説の「どこ」に感情移入しただろうということを考えて、それはとても広い範囲のことであったなと思いました。

風景への感情移入、それは俳句や短歌にみられる日本古来の文化であって、橋本治は「日本人は風景を涙でビショビショにした」とどこかで書いていましたが(『風雅の虎の巻』だったかな)、自我肥大というのか、ある種の傲慢さにつながるものでもありますが、逆に自己の境界が薄れて、「自我密度」なるものの分母が身体の大きさだとすればその密度はどんどん小さくなる、アニミズムや八百万信仰に結びつくものでもあるはずです。

そう考えてみると、物語とはまことに不思議な作用を持つものだと思います。

自我の一大拠点である脳をぐるぐる回し続けて、内に閉じこもっていくかと思えば、クラインの壺みたく、どこかで内部面が外表面と入れ替わっている。
その表面の遷移は、比喩ではなく、人体そのものが開放系のトーラス状*2であることの把握なのかもしれません。

時代を読む

時代を読む

 

*1:

橋本治と内田樹

橋本治と内田樹

*2:つまり、人体は入り口が口で出口が肛門である一本のチューブ(管)だ、ということ。

香辛寮の人々 2-2 「他愛のある人、自愛のない人」

 
 フェンネルは居間のソファで寛いで本を読んでいる。廊下がゆっくりと鳴る音が聞こえる。フェヌグリークが姿を見せる。
「ここにいたのね、フェンネル。ちょっといいかしら」
「どうぞ」フェンネルは顔を上げて、向かいのソファを手で示す。フェヌグリークは彼の顔をじっと見ながら、その返事を待たずに腰を下ろす。とても静かに。
「あなた、彼女の気持ちをもう少し考えて喋らないと駄目よ」
「彼女って?」
「シナモンよ。昨日の晩のこと。忘れたわけじゃないでしょう?」
 昨日は三人で、近所の居酒屋へ飲みに行った。恐らくフェヌグリークとシナモンはそう考えている。フェンネルは夕食を食べに行ったと思っている。酒を飲まなかったからだ。

「もちろん。それで、何の話?」
「ふん、やっぱり覚えてないじゃない。私だってね、あなたが馬鹿だと思ってないし、何度も同じことを繰り返したくないけれど、シナモンだけじゃなくて、あなたのためにもなると思って言ってるのよ」
「ああ。いや、分かってるよ。シナモンが一生懸命喋ってる話をちゃんと聴いているのなら、その話の中心に対してコメントしなければ自分の態度は伝わらない。君はそう言っていた」
「そう。彼女が自分の人生観について熱く語ってるんだから、君はその通りにやれてるよとか、自分のことをよく分析できるねとか、あなたならそういったまともな感想言えるでしょう? それなのに、妙に偏執的になったみたいに言葉の細部を突っついて、僕はパッチワークというよりは曼荼羅だななんて言い出して、それだけならまだしも、人を吊るして砂で絵を描くだの宗教的ではなくて諸行無常だなだの、もとの話題を完全に食って別の話にしちゃって、一体なんなの? 感想そっちのけで自分勝手に文脈無視した話始めて、しかもそこから表情までいきいきしちゃって。あなた、シナモンの顔なんて全然見てないでしょう?」
「いや、見てたよ。彼女に向かって喋ってるんだから、そりゃあ当然見るよね」
「あの子、変な顔してたわよね? え、一体何の話だろうって」
「まあね。僕だって、自分で話し始めてから、あれ何でこんな話してるんだろうって思ったくらいだから。で、君に聞いたよね? そもそも何の話してたっけって。君は会話にかけては非常に明晰だから、迷い込んだ話の筋をいつも的確に元通りにしてくれる」
「お褒めの言葉をありがとう。でもね、その言い方もどうかしてるわ。話の腰を折りたいように折って、その責任なんかこれっぽっちも感じてなくて、もう子供と一緒ね。あなたに悪気がないのは知ってるわ。それに無邪気に話ができること自体も、いいことではあるのよ。変に構えて、相手の機嫌を損ねないように上目遣いの応答ばかりするよりは。でもね」
「お互いに相手がいて会話してるんだから、最低限のキャッチボールは成立させておかないと礼儀に欠ける、だよね」
「そうよ。昨日も同じことを言った。あなたは、そんな当たり前なこと言われてもなあ、って顔で聞いてたわ」
「そんなことはないよ。常識の一部だと知ってはいるけれど、敢えてそれを言葉にするんだから、それだけ自分が非常識に見えるんだろうなって気付けたくらいだし。この歳になってそんな、相手を馬鹿にしてると思われかねない意見を言ってくれる人は他にいないからね、ありがたいと思っている」
「へえぇ、そんな顔にはとても見えなかったけれどね。まあいい…いや、よくないわ。だからね、何度も言うけど、そういう態度を取ることであなた、必要以上に他人に嫌われることになりかねないわよ。嫌われはしないまでも、あまり良い印象を持ってはくれない。人の出会いの第一印象のうち97%はね、知り合ってからの関係に後を引くものなのよ。いろんな人に好かれたいとは思わないって前に言ってたし、そう思うのはあなたの勝手だけれど、あなたが他人と一緒に仕事をしたりとか何やかやする時に、あなたの自分の見え方、他人が自分をどう見るかに対する無関心は、確実に仇になるわ。膨大な損失よ。しかも無意味な」
「その、97%というのはどこから」
「んなことどうでもいいの。今そういう話をしてるの。やっぱりあなた、人の話をまるで聞かないわね。右耳と左耳のあいだに、ちゃんと脳みそあるの?」
「あるといいね」
「……その冗談、まっったく面白くないわ」
「いや、別に冗談ではなく……まあいいや。えっと、そんなに興奮するような話ではないよ。僕のことを考えてくれるのはありがたいけども。で、そうだね、今言われてみると、僕はどうも話の筋よりも言葉の細部に囚われがちなようだね。普段あまり人と会話をしないし、本ばっかり読んでるし、その読書がまたメタファーとか文体を気にするような読み方をしているものだから、なんというか、癖になっちゃってるんだろうね。本を読む時の習慣が、人と会話している時にも顔を出す。言葉のやりとり、あるいは言葉の連なりを頭で追っていくという意味では、会話も読書も同じだからね。それに加えて、その癖を制御しないで自然に任せておくことで、自然な会話になるという思い込みもある。当然、会話のキャッチボールを成立させる方がコミュニケーションの基盤になるのだから、そちらを過度になおざりにしてはいけない、という認識だったんだけれどもね」
「どうやら、過度になおざりになっていたようね」
「そうらしいね」
「……まるで他人事のような言い草」
「うーん、そういう考え方は面白いかもしれないね。本を読む自分より、会話をする自分の方が他人である。いや、他人に近い、なのかな。いや、でもこれはある意味で当たっているな。コミュニケーションは自己の境界を曖昧にして別の個体と接する行為だけれど、本は頭の中だけなのに対して対面では五感もフル活用するから、多次元的に境界が薄くなるわけだ。ああ、感覚器毎に自己の境界があるという発想はなかなか斬新だな。一考の価値があるかもしれない」
「……」
「あ、ごめん。話が抽象的過ぎたかな? いや、ジョークです。冗句。ふふ…いや、ごめん」
 フェヌグリークは笑っていない。フェンネルは、それも仕方がないと考えている。ジョークの機能は笑いをもたらすことだけではないからだ。そしてこう思う。人が聞いて、哀しみの涙を流すジョークとはどのようなものだろうか、と。

「その、思うんだけどさ、君は職業柄かもしれないけれど、円滑な会話とか、効果的な意思伝達とか、そういったことを重く見すぎてるんじゃないかな?」
「重く見すぎる? 私は当たり前のことを言っているだけよ」
「うん、それは否定しないよ。ただ、思っていることを正確に伝えるとか、誤解を生まないようにするとか、要するにコミュニケーションの効率化を追求すると、どこかでそれが面白くなくなっちゃうんじゃないかと思うんだ」
「これはまた高度なことを仰るのね。相手のことは決して理解できない、コミュニケーションはすれ違うから面白い。わかってるわ、それくらい。人と話すのが仕事の核だもの。だけど、あなたの言うそれは、基本的な人間関係が構築されたあとに問題にすることよ。お互いのことをある程度知り合って、自分の意見をぶつけ合えるような信頼関係ができてから、やっと意識にのぼってくるようなトピックなの。つまりこういうわけね、あなたは初対面の人間に対して高度なコミュニケーションを要求する、そしてそれが自然であると言い張る。何考えてるのかしら。そんなの、子供に自転車を教えるのに、初日から補助輪を外して、サドルの上で逆立ちさせるようなもんだわ」
「そうだね。君の指摘はまったく正しい。僕はきっと他人からは、自分の娘を曲芸師に育てようとするスパルタンの父親のように見えるんだろう。自分はサラリーマンなのに。そんな狂った父親のいる家には、地域の回覧板さえ回ってこないかもしれない。でもね、どう表現すれば伝わるのか、考えてみないとわからないのだけど……例えば、こう言ってみようか。今君は高度な問題だと言ったけれど、基本レベルの問題があってそれをクリアすれば高度な問題を意識する、というような明確な分類は、本来すべきじゃないのではないかと思う。ハウツー本なんかに、コミュニケーション作法とか実用心理学みたいな名目で書いてありそうなことで、コミュニケーションの方法という視点で構造化すれば、たしかにそう表現できる。でもね、そうやってマニュアル化して、その通りにことが運び、期待通りの結果を得ることを良しとする。なんだかそれはコミュニケーションを、コンベアに機械部品を等間隔で並べるような単純労働と同じとみなす発想のような気がするんだ」
「ああ、わかったわ。フェンネル、あなたね、思考が抽象的なのよ。いや、そんなこと自覚しているわね、もっと言えば、あなたの思考は抽象的でしかない。あなたが一生懸命やってる分析は、現場に活かされてないのよ。実際のコミュニケーションの場から程遠いところで、一人で楽しく思考実験をやってるだけ」
「それが無駄だと?」
「勿体無いじゃないの。あなたが嫌われる理由なんて、そりゃないとは言わないけど、わざわざ進んで自分の他者評価を下げる意味なんてどこにもないわ。人は他人なしでは生きていけないって、あなたいつも言ってるじゃない。他人と上手く付き合える頭を持ってるのに、どうしてその頭をまっとうに活用しようとしないの?」
「研究活動は当たり外れがあるからね。投入した労力の数パーセントが芽を出せばいい方だし、そのなかで大きくなって実をつけるものが出てくれば、もう僥倖だといえる」
「コミュニケーションは研究ではないわ!」
「そう言い切れるものではないと僕は思うけどね。少なくともその評価に主観が立ち入る余地はある」
「人が生きていくうえで、いちばん根っこにあるものじゃないの。人が集まって社会をつくって、人と人が協力してあらゆるものを築き上げる。何をするにも、まず最初に気を遣わなきゃいけないところでしょう?」
「いや、君の考え方を否定しているわけじゃない。嫌味に聞こえるのを承知で言うけど、まず君は、まっとうで正しいことしか言っていない。少なくともこれまで、僕の耳が聞いた限りではね。そして、これは信じてもらうしかないけど、君の話はちゃんと聞いている。頭に入れて、想像して、理解している。だから、この2つを了解してもらったうえで、それでも君の気持ちが収まらないのだとしたら、もう理由はあと一つしか考えられない。聞いたら君は確実に怒るだろうから、ここでは言わないけれども」
「……言いなさいよ。そこまで言って、ただで済むと思ってるの?」
「え? いや、まだ言ってないのに、おかしくないかな? それ」
「知らないわ。あなたが何言っても、私怒るから。言わなくても怒る」
「うーん、未来は決定済みというわけだね。それが運命ならば、甘受するほかない。……どっちでも同じなら言わないに一票」
「言ったら満貫、言わなかったら跳満よ」
「なんと! では起死回生の、暗槓ツモ嶺上開花!」
「ロン、槍槓」
「ぎゃふん」