human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

Galera2級初クリア、鍛えずに登る、三度入り口、etc.

galera-climbing.com
大阪へ来て、ガレーラ↑に通い始めて1月半、昨日ようやく2級課題(スラブ)を初クリアしました。
常設課題ではなく月ごとにホールドの配置が変わるマンスリー課題ですが、マンスリーの中では3級が未だ一つも登れていない中の、唐突なクリアでした(常設課題でも3級クリアは2つだけ)。
岩手のジムでも1年間の最終盤は2級をいくつかクリアしていましたが、あそこは「ボルダリングが地域に根付くように」というオーナーの方針で人工壁の全エリアが(ある級までは)中学生でも登れるホールド間隔がちょっと狭めのコースで構成されていたので、級設定もほかのジムよりは甘めに付けられていました。
なので今回の2級クリアにはひとしおの達成感があります。

もともとスラブのバランス系課題が得意というのもあり、普段は一人で黙々とやっているのが昨日はたまたま同課題をトライ中の3人で一緒に試行錯誤しながらすることになったお陰もあります。
そのせいか、ジムにいたのは3時間でしたが、帰って翌日の今日は身体がへばって、昼まで動けませんでした。
こっちは別に、珍しいことではありませんが。

 ✕ ✕ ✕

www.youtube.com

このジムでは初心者・初級者のための登り方講座をyoutubeにアップしています、ということをつい最近知りました。
動画↑に出ているジムのオーナー、むむさんが中心となって、閉店後に時々撮っているそうです。
ムーブよりも先に、こういうシンプルな「コツ」(方法以前の、心構えに近いもの)を教えてもらえると、ボルダリングに対する印象も、続けていく方向性もだいぶ違ってくるものだと僕は思います。

僕は「なるべく腕に負担がかからない登り方」を岩手で始めた頃から心がけていて、「手よりも足が大事」なのは実感としてとてもあります。
時間が豊富にあった岩手での1年間はストレッチにかなり時間をかけて(ウォーミングアップとクールダウンにそれぞれ30分以上)、登る合間に股関節のストレッチを挟んだりもして、お陰で柔軟性の高い下半身主力クライマーになりました。
(最初に書いた2級課題も、他の人が思いもつかない所でヒールを使う(踵で立つ)ことでクリアしたんですが、股関節の強さと軟らかさがあってこそのムーブだったと思います)

上の動画の中でのポイント、というか僕が「これはいい」と思ったのは、呪文として頭に刻み込んでもいい「足、足、手」です。
どのホールドを掴んで体を引き上げるか、と上ばかりを向いて登る初心者は、腕の力だけでなんとかしようとして、ろくに足元のホールドに体重を載せられずに腕がすぐ消耗してしまいます(男性で、特にスポーツ経験者で腕っぷしが強い人だとそれでも登れてしまい、その登り方がクセになってある段階で行き詰まってしまうことがあります。「ボルダリングは女性の方が向いている」と言われるのも同じ理由で、腕の力がない分だけ自然と体全体で登ろうとするからです)。
壁にはりついた状態で動きがストップするとどんどん消耗していきますが、そうなることを嫌がって焦らずに、「どのホールドに足を乗せれば体重をしっかり預けられるか」を、下を向いてしっかり見極める。
人工壁でいちばん簡単なコースはどのジムでも「足自由」(手は指定されたホールドのみ使うが、足はどれを使ってもよい)ですが、足自由課題の本来の意味というか、それでこその活かし方がこの「足のせ感覚をつかむこと」にある、と動画では解説されています。

この登り方講座の第2弾がつい昨日アップされました。
僕も近いうちに見ようと思います。
(動画の説明書きからすると、ダイアゴナルとかちょっとムーブ的な話になっていそうです)
www.youtube.com

そうそう、大事なことを…
ボルダリングは身体を敢えて鍛えなくても、けっこう登れるようになります。
片手指数本でぶら下がる、みたいな常人離れした動きをするには相当かつ効果的なトレーニングがいるでしょうが、ジム通いを日常生活に組み込んで、週1ででも登っていれば、登るために必要な力は勝手についてくる、とクラムボン(僕のホーム、岩手・北上のジム)のオーナー、オサムさんは言っていました(オサムさんは実際「片手指でぶら下がれる人」ですが。生で見た時は(ミラーニューロンの働きで)自分の指がちぎれる思いがしました)。
僕は初心者の頃に聞いたその言葉を呑み込んで、筋力トレーニングはせず(ストレッチのみ)、登ったあとにプロテインを飲むこともしませんでした(疲労回復のブドウ糖摂取と、あと一度タンパク質渇望感に襲われてからは豆乳を飲んでいます)。
柔軟性だって、足(というか体全体)を意識して登っていれば勝手についてくるものだと思いますが。

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書き始める前に書こうとしたことまでたどりつきませんでした。
ボルダリングに絡めての、ものづくりの仕事として「つくりたいもの」と、身体性(の賦活)、そしてコンヴィヴィアリティの話(つまりこれの続き)にまで到達できそうな予感があったんですが、脇道に長居してしまいました。

まあ、身体を動かしていると自然と至る感覚(身体感覚の活性に導かれた思考の活性)なので、いずれまた戻ってこれるでしょう。

でもちょっとだけ。

ボルダリングによる身体性の賦活とコンヴィヴィアリティ(=自立共生。イリイチの用語。適度にローテクな(広義の)道具の活用を通じて、人が生活や仕事で自主性・創造性を発揮すること。←自分の言葉で今考えて書いたので、いい加減な定義説明です)とがさっき頭の中でリンクして「あっ!」という驚きがあったことだけはメモしておきます。

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生き延びようとする衝動は生物の性、
けれど意識をもった人としては
「生きたい」という意志をもって生き延びたい。
社会が、世界がどうあっても。

この、意識の底また底にあるものと、仕事とが結びつけば、仕事はその重みを格段に増すことでしょう。
それが苦しみであるとして、僕自身はそれを引き受けるべき苦しみだと思っている。
苦しむのが嫌なら、死んで楽になればいい。
もしかして、「生きたい」と公言する恥辱は、それが「苦しみたい」と同義であることの隠れた認識に端を発するのではないか。

この掘り下げは、形式に、手段に堕さない言葉が息を吹き返す一つの道になるという予感がある。

タイムリィな変化に鉢合わせしたので

1週間くらいぶりに内田樹氏のブログを訪れるとHP構造が一新されていました。

tatsuru.com

スマホ対応なのか、すごくシンプルになりました。
前みたくブログ記事の両側に著作紹介やらツイッターやらがごちゃごちゃ表示されなくなったので、見やすくなって僕はありがたいです。

で、ウチダ氏は著作が売れ始めるずっと前からブログを書いていて、僕は院生の時に研究そっちのけで読みふけっていたので内容には親しいのですが、いかんせんアーカイブが未整理で参照性がイマイチだったのでした。

そのあたりのところを、ウチダ氏のウェブ長屋にお住まいのハヤナギ氏のブログ↓(これもまた「路傍放置的アーカイブ」の典型のような、いやネット黎明期のHPはみんなこうだったかも)をさらーっと流し読みしていてたまたま見つけて(サイト内で「千葉すず」で検索して4つめのあたり),「千葉すずについての記事」が気になって、新しくなった内田氏HPのアーカイブで検索すると、あった!

ヘル葉柳の長崎通信

あったというか、正確には、「千葉すず とほほ」でgoogle検索して旧サイトのアーカイブに埋もれていた旧ブログ「とほほの日々」の記事内容がキャッシュで引っかかったのでその日にちをもとに新サイトで探すと、日別のきれいな形で当時の日記↓が閲覧可能になっていたのでした。

blog.tatsuru.com

この記事は今のような売れっ子著作家になる前の氏の消息を伝える意味で貴重な存在です。
貴重といっても、このような書き散らしが全て残っているわけなので、希少というわけではないのですが、氏が誰からの依頼でもなく気ままに健筆を振るうた思考の軌跡には、色褪せない活気があります。

ハヤナギ氏のいうように、「思考のカンフル剤」としてうってつけの文章です。

暑さと半死、それは修行なのかもしれない

暑いです。
こうまで暑いと、能動的になる意志が熱気に奪われる心地がします。

意志は能動性の言い換えのようなもの。
先に受け身の出来事があっても同じで、意志がなければ受け続けるだけ。
「それはいやだ」という反逆が、人の意識の始まり。
だから「それでもいい」という受容は退化でもあり、帰化でもある。
ただ、そういって「帰る場所」は、都会にはありません。

自主裁量で仕事をするようになって、暑くなって、眠り続けています。
夜が遅いわけでもないのに、朝に起きられない。
暑さのせいだと思っているが、それだけではないようでもある。
思えば、「積極的な睡眠」というものはない。
眠りたいと思っても、努力すれば入眠が叶うわけではない。
意識が沈む瞬間が不明である、これが受動的な行為の象徴。

暑さへの対処が、それに反抗するよりも馴染む方が自然である。

外気を否定して冷房を利かせ、肌に最適な温度空間を無理やり拵える。
その「最適」は、人が、より正しくは産業が定義したものに過ぎない。
人と環境の関係は、経時的な相互性のうちにある。
最適を言うなら、長年暮らした地域の風土によって最適性は様々異なる。

見方を変えれば、自然にはいつでも還ることができる。
いわば人工空間であっても、身体が受動的に馴染む場所が彼にとっての「自然」となる。
「自然」をそう捉えた時に、「自然」は意識に取り込まれることになる。
そういう眼で、自然を、草木を海川を見ることもできる。
(つまり「自然」の定義を改めたうえで本来の自然を眺めるということ)
視界には紛れもなく、緑や青が、映ることだろう。
彼がとらえた青や緑は、いうまでもなく、もはや「自然」ではない。

受動性の話に戻る。
快・不快の感覚は、主体と対象の「境界性」と相関する。
対象を嫌だと思う意識は、境界を強固に作り上げ、対象を自分から遠ざける。
自分が心地よいと思う対象は、懐に招き入れ、あるいは自分の一部にする。
境界は薄れ、消失する。

暑さが不快なのは、「そういうことにした」からである。
汗をかくから暑いのはいや。
つまり「発汗の見苦しさ」という通念が、暑さを不快にしている。
代謝反応として、発汗は髪が伸びることと等しい。
「清潔に見えるように、髪は定期的に切るべきだ」
汗はかかない方がいい、という発言は、髪は伸びない方がいいと言うに等しい。
どちらも実行に移すことは可能で、後者は「死」である。
冷房慣れか真夏のスーツ慣れなのか、経年変化で汗をかかなくなる人がいる。
彼はもちろん生きているが、「半死」状態と言えなくもない。
「自然」に馴染んで生きるとは、そういうことである。

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まだ半分も読んでいませんが、不思議になげやりな長いタイトルのこの本は「抽象的に考えるとはどういうことか」が書かれています。

常識や通念はさておいて、素朴に論理的に考える。
誰も言わないような表現が飛び出したとしても、論理展開が要請したものなら、それはひとつの「成果」である。
言ってはいけないこと、言わないほうがいいことを「空気を読む」という忖度を通じて排除し、会話や議論が凝り固まり、限定された、どこかで聞いたような結論しか生まない。
一人ひとりが自分の経験をもとに自分で思考し、そのような空気に飲み込まれずに発言し、新しい道が開けるような議論ができること、そのような社会が「本当に自由で平和な社会」である、と書いてあったように思います。

人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか (新潮新書)

人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか (新潮新書)

「自分の思考を通じて新しい道が開ける」という言葉は、社会のとっての新しい発見ではない。
自分が見つけた「新しい道」が、誰もが当たり前だと思っている些末な考え方に過ぎない場合だってある。
しかし、それを「新しい道」だと思い、自分固有の経験が導いた発見だと本人が考えたのは、それが今までは彼の中で単なる知識に留まっており、身に染みていなかったからである。
自分の思考によってものの見方や考え方を血肉化するためには、そのような無駄や回り道を恐れてはいけない。
それを無駄と考える者は、自分自身ではない。
それを回り道だとみなす者は、効率良くショートカットを繰り返して行く先が自分からどんどん離れていくことを自覚できない。

「自分自身ではない者」の判断に従うことや「自分からどんどん離れていくこと」が、自分で「新しい道」を発見することとは決定的に異なる点がある。
すなわち、自分自身が更新されていくこと、である。

それは、修行なのかもしれない。

伝書に書かれている言葉は多義的であり、一意的な解釈を受け付けない。それはいかなる最終的解釈にも行き着かない、エンドレスの「謎」として構造化されている。私たちはそれぞれの修行の達成度に応じて、そのつど伝書に対して新たな解釈を下す。(…)
 どうとでも取れる玉虫色の解釈をするというようなことを、初心者はしてはならない。どれほど愚かしくても、その段階で「私はこう解釈した」ということをはっきりさせておかないと、どこをどう読み間違ったのか、後で自分にもわからなくなる。
 多義的解釈に開かれたテクストには、腰の引けたあやふやな解釈をなすべきではない。それはテクストに対する敬意の表現ではなく、「誤答すること」への恐怖、つまりは自己保身にすぎない


内田樹『修行論』p.144-145

修業論 (光文社新書)

修業論 (光文社新書)

12日目:疲労の徴候、4日ぶりの24番 2017.3.12

この日は、9日目に薬王寺を出て、鯖大師には寄りましたが4日ぶりに次の寺、24番最御崎寺に到着しました。

般若心経や光明真言などを唱える、寺に着くと本堂と大師堂とで2回行う「お勤め」は、日によっては8回、10回とやる日もあり、そんな日は歩く時間が減るので焦ってしまったりするんですが、逆にお勤めがない日が続くとそれはそれでさびしいもので、4日ぶりのお勤めとなったこの日のことは印象に残っています。

24番は寺と宿坊「へんろセンター」がちょっとした山の上にあります(標高というほど高くはないが傾斜がきつい)。この日は宿坊に泊まる予定で、昼過ぎに到着したので時間に余裕がありました。山のふもと、登り始めの横っちょに洞穴があり、中には像が祀られ、本堂や大師堂と同じようにろうそく立てと焼香スペースがありました。そこが24番の大師堂だったのか、「昔は大師堂だったところ」なのか、記憶が曖昧ですが(こういうことを本来は日記に書いておくべきだったんですが…)、疲労していたにもかかわらず、朗々と経を読み上げたことを覚えています。

(1)眠い:最初の頃は眠れなくても日中歩いている間は平気だったが、ここ2,3日から昼寝をして体力回復している。海辺での日光浴が気持ちよいのもあるが、「旅テンション」が落ち着いてきたのかもしれない。夜は早いうちに一度寝て夜半過ぎに起きる風になっている。

(2)足の疲れ:海沿い行程中から疲れ方が変わってきた気がする。ふくらはぎに疲労が蓄積し([その日の]歩き始めはつらいが歩くうちに気にならなくなってくる)、昨日今日は足先の疲れが見え始めた。指の付け根の筋肉か、ゲタを掴む力が入らない、というよりはこまめに休憩しないとダルくなってもたない。風呂マッサージで(前は気にならなかったから)抜かしていた部位なので、今日からはしっかりやろう。

(3)足の日焼け:鼻緒焼けが日を増してひどくなっている。湯に染みるので明日から処置しよう。

(4)歯の削れ方と歩き方:歯がかなり短くなってきた。ゲタの台の裏から中心に向けて傾斜がついているので、ほんとうにギリギリまで短くならない限り歩けるとは思うが*1、この影響で歩き方は変えざるを得なくなっている。台を前後にあまり傾けず、そのかわりに股を開きめにして歩幅を確保する。指の疲労はこの歩き方の変化の影響かもしれない。今はまだもっているが、指の状態によっては再変化を要する。

(5)宿にて:夕食では宿坊大好き外国人、区切り打ち24[番から]スタートのおじさん、車逆打ち50回以上のおじさん[と相席になる]。[車遍路は]慣れれば1まわり1週間でいけるそうな。[夕食に出てきた]「大皿盛り」が高知の郷土料理*2。温泉はいい湯。2回めで龍谷大野球部とかち合う*3

所感:「修業の道場・高知」を実感し始めている*4。日焼け、足の痛み等、慣れとは別に蓄積されてきた苦痛がものを言い始めている。淡々と歩くことに変わりはないが、頭もひきつづき空っぽに、身体の声をきくべし。

日記の5つのトピック中、3つが足(歩き方)のこと、1つが体調のことで、日記的な出来事の記録は1つしかありませんでした。
親類の供養だったり、世界平和だったり、遍路に託す祈願は人さまざまで、多くの歩き遍路が道中つけるであろう日記にはその祈願が色濃く反映されるものでしょうが、お勤めの後に寺に納める札に「身体賦活」と大書し、実はそれは苦心の末であって「祈願などない、歩きたいから歩く」と思って歩き遍路を決意した自分の道中記としては、とても素直なものだと思います。
それが他の人が読んで面白いかどうかは全く別問題ですが。

*1:文章だけでは、何を言っているのかよくわかりませんね。僕も読み返してしばらく考え込みました。写真だと一目瞭然↓。これはこの2日後の状態。台の裏が完全に平らだと、歯がなくなった時に台が地面にべったり接して動けなくなるんだがそうはならない、と言いたいらしい。ゲタが履物としてありふれていた時代は、そうなる前に歯or本体を替えるか、履き捨てて裸足で歩いていたのでしょう。現代では、道=アスファルトを裸足では到底歩けませんが(こう考えると、歩道なんて呼んでいても結局道路は「車のための道」のおまけなのですね)。そういえば道中で「草履で本州縦断」をした人の話を聞きました。藁を編んだ昔ながらの草履で、すぐボロボロになって頻繁に取り替えていたらしい。そりゃそうですね。耐久性でいえばゲタの方がまだましでしょう。 cheechoff.hatenadiary.jp

*2:具体的な食材を忘れましたが、とにかく多種類のおかずを大きな皿にどかんと盛り付けたもの。この数日後に聞いた「高知は酒飲みが多い」のと、関係があるのでしょうか。ちなみに、高知に入ってからは毎晩のように「かつおのたたき」が夕食に出てきました。

*3:へんろセンターを宿にしていたのかは不明ですが、近くにある学校のグランドでの練習が終わって温泉になだれ込んできました。なんか関西弁やな…と思って話しかけると、龍谷大だという。運動部のコミュニケーションというか、茶化し合いが典型的に野球部的だなと聞く前から思ってましたが、高校生だと予想していました。自分の高校時代が念頭にあったんですが、それにしても幼すぎないかと、君らもっと考えることあるやろうと…余計なお世話ですが。

*4:4県にまたがる遍路道の、それぞれの県にキャッチコピーのようなものがついています。調べればすぐですが、記憶を探ると…「発心の道場・徳島」「修行の道場・高知」「○○の道場・愛媛」「涅槃の道場・香川」。忘れてますね(笑)そして涅槃の意味もよくわかっていない。歩き終えてこの様ですから…まあ、道中後半ではもう少しマシだったかもしれません。今後の展開に期待。

11日目:鈴をなくす、食あたり、「徳増」にて 2017.3.11

以下、日記をそのまま抜粋。

(1)鈴*1をなくした:人気のない道が増えてから白衣の紐につけるようになっていたが、上着を脱ぐ時に一度外す必要が生じ、いったんそばに置いてからそのまま忘れてしまった*2。熊よけ鈴との縁はこれまで、遍路用品店か高知市のアウトドアショップで代わりを入手しよう。鳴らしたい時に鈴がないのは寂しいが、これも修行。ゲタで「同行二人」といこう。[教訓]鈴は肌身離さず持ち歩く⇔ズギン*3のベルト通しにつける。
(2)食当あたりの怪:今日の昼前頃から足ではなく頭の調子が悪かった(寝不足によるはき気のような)。寝不足ではないはずなのでどうもうすあおのり*4の手掴みによる食中毒と思われた*5。色んなものを触ったので直接触れる食物はNG。

所感:(@翌日朝)波の音とホトトギスの鳴き声が心地よい。食事も地産地消で旨かった(茶が独特。ドクダミとシソと…なんだっけ)いい宿でした。

この日も23番薬王寺から24番最御崎寺(ほつみさきじ)までの長い道のりの途中で、道中に寺はありませんでした。

この日に徳島を出て高知に入り、泊まった宿は「徳増」。
料理に使われている野菜の多くが宿の裏にあるおばあさんの畑で採れたもの。
宿のおかみさんはご自身が一人で歩き遍路中に徳増に泊まった時に、今のご主人(宿の主)に口説かれたという。
元は東京の生保で働いていた都会人だが、はやくも宿にとても馴染んでいました(たしか僕が泊まった前日に婚姻届を出したと言っていた)。
この日の日中に予約の電話を入れた時に出たのがおかみさんで、「すみません、今日はもう予約が一杯なんです。でも…あっ、普段使ってない古い部屋があったと思うんですけど、そこでもよければ。じゃあ、ちょっと聞いてきますね」と、口調が再現できないのが惜しいですが、歩き遍路をとても慮った対応をしてくれました。
またご主人は僕が鈴をなくしたことを電話で伝えると「じゃあ戻って探してみましょう」と気前よく車を出してくれたし(結局見つかりませんでしたが)、一本歯の歯が擦り切れそうで替えを買わないといけないと言うと、高知市に一本歯を売っている店がないかfacebookで聞いてくれました。
遍路客との距離が近い、とても親しみのある遍路宿でした。

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これは翌朝の出発前におかみさんが撮って、宿のfacebookに載せた写真。
確認できたのは旅が終わってからでしたが、応援ありがとうございました。
おかげさまで無事に旅を終えることができました。


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今日ふと思い出して、遍路回想記を3ヶ月ぶりに再開してみました。

あれから記憶がさらに薄れて、道中の一日をリアルタイム視点で書くことはもはや不可能に思われたので、日記(これは旅中、その日か次の日に書いたリアルタイム日記ですが、いかんせん、日記の常ではありますが内容がかなり偏っていて、出来事が半分、もう半分は「一本歯歩行記録」の感があります)を書き写しながら思い出したことを末尾に加えるという形式で書くことにしました。

まだ全行程の1/6を過ぎたところ。
最後までたどり着けるでしょうか。

*1:遍路用の鈴は金剛杖につける「同行二人」の表現で、鈴の音が空海大師の声だというが、音がどうも大きいと思って僕は登山用の熊除けベルを使っていました。

*2:駐車場の低いブロック壁に座って着替えをしていたちょうどその時にママチャリで通りかかったおじいさんに話し掛けられて、長話をしてしまったせい。

*3:この単語に記憶は見当たらない(手帳の字が汚くて誤読の可能性もある)が、おそらく納経帳や数珠を入れる肩掛けバッグ「さんや袋」を指すと思われる。→あ、これ「ズボン」ですね。

*4:前日の道中に川沿いの家に住むおばさんからもらったもの。目の前の川底でゆらゆら揺れているのりを採った「超地産地消」品。

*5:ビニール袋に大量に入ったものを、歩きながらぱくぱく食べてました。休憩時にマッサージで足裏を触ったりしていたので、まあ当然ですね。ただひたすら歩く生活に慣れてくると行動の感覚がワイルドになるのはしょうがなくて、でも免疫力がそれに相応して急上昇するわけはありません。

理屈の意志、知性の透徹

「理屈はあとからついてくる」とは逆の方向。
「有言実行」よりも抽象的。

知性への信頼。
個の超越。

 攻撃は最大の防御という言葉があるが、相手が防御しようと構えている場合には、そうそう簡単に有効な攻撃をすることはできない。むしろ相手が攻撃に転じるその一瞬に、隙が見出される。ボクシングでいうところのカウンタである。それは、エンジンのピストンのように、動きが反転するところで、一瞬静止することを想像すれば理屈は簡単だ、と彼は考えていた。この男は、こういった不思議な理屈を幾つも持っている。類似する現象を見つけ、それによって理屈を作る。信じることを、正しいことに塗り替える。それが彼の手法なのだ

森博嗣四季 夏

これは知性による超越の意志でありながら、身体性を毀損するのではない。
むしろ既存の思考法を足蹴にできるだけの、高度な感受性が必要とされる。

相互に刺激を与えて活性化しながら、どちらかが他方を従属させるわけではない。
知性がリードしているわけではなく、言語出力の枷がそう見せているにすぎない。

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朝、通勤の時間帯に電車に乗るのは、定常的なレベルでは高校以来です。
10年以上も昔のその頃は、イヤホンで耳を塞いで苦痛を耐え忍んでいました。

今は傾向が大きく変わりました。
当時と比べても、電車を使わなくなったその後の通勤と比べても。


車内で小説を読むようになりました。
外乱があると想像が乱されると思って、以前は散文を読むようにしていたのに。

この変化のおり、最初に手にとったのが森博嗣の「四季」シリーズでした。
再読ですが、"White Autumn"、"Red Summer"と読んで、今は"Green Spring"です。


透明に徹する、と書いて「透徹」。
weblioシソーラスで調べると、類義語がありませんでした。


比較を絶した対象に立ち向かう意志こそ、知性をして透徹せしむ、のでしょうか。

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四季 夏 (講談社文庫)

四季 夏 (講談社文庫)

中央線ボルダリング事情

仕事の行き帰りの途中で通えるジムを探していました。
途中とは、主には高井田〜九条間(中央線)か、横堤〜ドーム前千代崎鶴見緑地線)。
晴れていて特別な用事がなければほぼ通勤は前者の中央線です。

これまでに森ノ宮と本町のジムに行きましたが、(前者はショッピングモール内なのになぜか)ビル仕様で天井が低く、自分が始めた北上のジムと比べて圧迫感がありました。
(大阪に住む前に一度帰省したときに行った、心斎橋と堺筋本町の間にあるジムも同じでした)

今日行ったのは大阪市内で4つ目になるんですが、大正区のジム・ガレーラ。
工場街にあり、当然建屋が広い。
のびのびとやるならここかなと感じました。
(コースの傾向などは何か解説できるほど把握はできませんでしたが、BGMがほかのジムにありがちな重低音バリバリの大音量でなかったのは僕の好みでした)

galera-climbing.com

最寄りの大正駅鶴見緑地線の終点ですが、地下鉄を使わずとも九条のシェアオフィスから自転車で行ける距離にあります。
いいなと思ったのは、九条で着替えていけばジムには靴とチョークだけ持っていけばいいこと、そしてそれらの用具をオフィスに置いておけること、あとは仕事の途中で気分転換に登りに行けること(今日は仕事を始める前に行きました。これよく考えたらかなりの利点で、ふつうのサラリーマンだと仕事終わりの夕方以降に来るので、平日日中の空いた時間に来れるってことですね)。
それと、帰りに周辺をうろついていると銭湯も見つけました。汗だくになったらスッキリできますね。空調がけっこう充実したジムなので夏でもそこは意外と平気かもしれません。

最初は電車での途中下車を前提にして考えていましたが、こっちだといろいろ融通が利きます。
とはいえ、ジムそのものがいちばん通いたいところであることがまず大事な点。

あとは、通える頻度を調整して、月パスを購入できるかどうか。
いや、購入自体は単純に費用の問題ですが、ボルダリングが生活の一部になるかどうかの一つの指標にはなります。


ブリコラジールの方でもボルダリングを「今後関わりたい仕事分野」として掲げている以上、自分なりに深めていきたい思いもあります。
どう仕事にするか(たとえば「どう設計とからめるか」)は、うーん、これからですね。

趣味を仕事にしたい、という方向性ではなく、趣味の知見を本業に活かしたい、と思っています。

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そういえば通っていた高校が大阪城のすぐそばで、僕自身は学校周辺しか地元感はありませんが、市内から通っていた同級生はもちろんたくさんいて、今も市内在住という旧友がちらほらいます。
主に彼ら彼女らに向けてなんですが、ボルダリングに興味があれば気軽に一声かけて下さい。連れて行って面白さを伝授します。
子供の頃の木登りと一緒で、身体を動かすだけで楽しめる活動で(僕は自分の登壁コンセプト上、スポーツとは呼びません)、道端でこけたら骨折するような虚弱体質でなければ誰でもできます。
(岩手で司書講習をやってる間に同期の方々を(結果的に)誘って何人も連れていきましたが、動機はいろいろあれスポーツ経験者もそうでない人もみんな楽しそうでした)

野生の目覚めがあるかもしれません。ぜひ。

ゴミ出しにまつわる自由連想

花巻にいた頃の話。

ゴミ袋は市の指定のもので、燃えるゴミ、資源ゴミともに2週に一度のペースで収集へ出していました。
収集所には各地域指定の番号があり、ゴミ袋にその番号を記入します。
僕のところは「南-20-3」だったんですが、住み始めてしばらく経った頃に、末尾の「3」を連想のためのベース形状とすることを思いつきました。
つまり、「3」を袋に書いた時に、その形から連想したものを描き加える遊びです。
最初に書く数字の書体もその時々の思いつきがあり、つまり初期条件にもばらつきが生じます。

こんなふうに。
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f:id:cheechoff:20180623152516j:plain
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(なめらかな曲線の「3」ばかりですが、昔のデジタル時計のようなものや、「M」を横にしたようなものなど、カクカクした字体をもとにしたものもありました)

発想の出来よりも習慣づけるのが大事だと思って、半年くらいは続けたと思うんですが、写真を撮ったのが面白がっていた最初の頃だけだったのでサンプルはほとんど残っていません。

面白いのは、「3」を書いた瞬間は、ゴミ袋の表記という、この数字の身の丈そのものでしかなかったのが、連想したイメージを描き込むことでスケールが自由自在に伸び縮みすることです。
上の写真の例はあまり劇的ではありませんが、「3」を右に倒した形を波に見立てて風景画にした時は(波が当たる崖とか、その上の小屋、太陽などを足しました)、その「3」が実寸の…えーと、文字が5cm=50mm、崖ぎわの水面が200m=20000mmくらいとして…1/400スケールに描かれたものに変身するわけです。


と、分析して説明してみたものの、面白さというか脳が躍動を感じるピークは、イメージを連想した瞬間のワープのような非物理的な移動感覚にあるのだと思います。

この感覚自体はありふれたもので、文字から意味を読み取るのも結局は同じことですが、この感覚のモビリティ、つまり瞬発力というものを考えると、その発動機会は生活空間(街中)に雑音の多い都会の方が圧倒的に多いと言えます。

都会の視覚的なノイズというと基本的によいイメージがありませんが(少なくとも僕にはありません)、本記事の自由連想が意味するのはそういったノイズに呑まれることではありません。
ノイズが何気なく街を歩く人に効果的に機能するのは、それがわかりやすいからです。
言い換えると、余計な連想や複雑な思考といった迂回を介さずにシンプルに意図が伝わるということで、だからこそ派手なネオンやけばけばしい看板の情報内容を求めていない通行人にとっては、繁華街を通る不快さは「理由のないシンプルな不快さ」なのです。


僕が言いたかったこと、というか話の流れからして言えそうなことは、自由連想は「ノイズのわかりやすさに呑まれない」一手法でありうる、と。
まあ要するにこれは「余計な連想や複雑な思考」なので、わざわざそんなことをシンプルさに抗して行う疲労もあるし、そもそもじゃあそんな所通るなよという話で、実際僕は通りません。

ただ、もしその一手法の目的について真面目に考えたとき、ネオン街を「風景として眺める」のも同じ機能をもつだろうと思うのですが、これはどうも、感覚の鈍化のような気がします。

似たようなことで、違いをはっきり説明するのは難しそうですが。

『スティル・ライフ』、布を垂らす、ぶり子再認知

雨なので家にいました(と気兼ねなく言えるっていいですね)。
久しぶりにゆっくりと本を読んでいます。

引越しの少し前から本を読む時間が少なくなって、大阪にきてからもしばらくは動き回っていたので読書に頭を使う余裕がありませんでした。

民家の立て込んだ近所の生活音の話を前回書きましたが、雨が降っているとそれらの音が遠のいて、静かに思えてきます。

梅雨にしては雨量が大したことがなく思えるのですが、これからなのでしょうか。

 × × ×

久しぶりに『スティル・ライフ』(池澤夏樹)を読みました。
ずいぶん昔、たぶん学生時代に読んでそれからずっと手放さずにいたようで、使っている付箋の古さでわかります。
あらすじはすっかり忘れていたのですが、星の、夜空を写した写真のスライドを壁に投映して、若い男が二人、淡々と会話をする場面だけ覚えていました。
さっき読み返して、今日までとっておいた過去の自分に「やるなぁ」と思い、この一つ前に書いた「都会暮らしの自分なりの意義」に早速つながりを発見し、刺激を受けて、「今自分が読むべき本であったか」と思いました(このテーマについては結局以下に書かれなかったのでまた記事を改めます)。


染色の話が出てきます。
主人公の若者は織物の原料となる巨大な布地を染める工場でバイトをしている。
成分を厳密に管理した決まった染料に、毎度同じ時間だけ布を浸けるのに、出来上がりの色には個体差が出る。
「一定数の男女が同じ地域に住めば、自然と組み合わせが生まれて役所に婚姻届を出しにくる。でも市の戸籍係が、今年は百組のカップルを町から輩出しようったって、どうしようもない。それと一緒だ」
工場で知り合った若い男と飲みに行って、彼からは変な比喩を聞かされる。
それはよくて、入れるべき液槽を間違えて布地を浸けたために主人公は主任に怒鳴られ、それを庇ってくれた縁で二人は飲むことになった。
「主任は同じ条件の媒染で同じ色が出ないことが不満だが、君はそれが面白いと思うのだろう」
友人が辞めた後で会った時、意外と長続きしていると言う主人公の気持ちを彼が代弁する。

この本を読む僕の右側では2mを超える緑色の綿布がロフトから垂れ下がっていて、風のないわずかな空気の揺れにも応じて微動しています。
この無地の布はインド産で、昨日心斎橋のマライカという雑貨屋で時間をかけて選び抜いたものです。
同色として縦に積まれている同じ商品も、ぱっと見で色の微妙な違いがわかるものもあり、この色にしようかと決めてからも一つひとつを畳まれた状態から開いて光に当てたり光を透かして見たり、かといえばディスプレイ品(壁に吊るしたり、紐でくくって天井からぶら下げられているもの)に目移りして「やっぱりこっちにしよう!」と心変わりするも、そのディスプレイ品が陳列棚にはなくて店員を呼んできて、「この色は品切れで再入荷も未定なんですよ」と言われて結局現品で購入しました。

買う時はシェアオフィスのディスプレイカバー(使わない時にかぶせておく布)にと考えていたんですが、欲しい色で選んだらサイズが必要より大幅に大きくなってしまって(たしか220×150)、もちろん畳んだうえで使えば問題ないのですが、家に持ち帰って天井の高い2階を見上げているうちに「どうせ明日持っていくんだから、せっかくだし上から吊るしてみるか」と思ってやってみると意外に落ち着いたインテリアとして成立したのでした。
2階は4.5畳の板間が壁なしでつながっていて(仕切りは3つのスライドドアで行う)、南北に窓があり、窓にはこれも昔マライカで買ったフリークロス(たぶんテーブルクロス)を吊ってカーテンの代わりとしています。
隙間があるし、窓を開ける時など若干の不便はありますが、その隙間とほどほどの遮光性のおかげで圧迫感は全くありません。
その布主体の部屋の、窓際だけでなく内部にも布を垂らすというインテリア効果について、実際にやってみてから、まざまざと実感しました。

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古いテラスハウスのリノベ物件であるこの借家は1,2階とも全面が板間で、壁が少なく階段もスカスカで、2階天井には濃い茶色の梁がいくつも通り、天井の低いロフトではその中の一番太い梁が横断する、といった珍しい特徴がいくつかあり、部屋を決める前の下見の時は自分がどういうレイアウトをするかが全く想像できなかったのですが、その想像できなさは僕にとってよかったようで、住み始めてから、時間が経つごとに新しい発想が生まれてきます。

その発想の多くが「既存の(前の借家の時に捨てずに持ってきた)ものを活かす」もので、今回はあまりこの点に触れられませんでしたが、いろいろと面白かったのでまた書きましょう。


というわけで「ぶり子ライフ」のタグ、久しぶりに復活です。
このタグは「ブリコラージュ的生活」の意味で命名されて、そんな生活をずっと続けてはいるのですが、当たり前すぎて敢えて使おうという発想が滅多にわかないまま放置されていたようです。
その生活はどんなものか、といえば、例えばこちら↓。
「ぶり子の誕生日」は、こちら↓↓。記事のけっこう下の方です。

cheechoff.hatenadiary.jp
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スティル・ライフ (中公文庫)

スティル・ライフ (中公文庫)

「都会に舞い戻った縁」に関する覚書

住まいの整理がだいぶ落ち着いてきました。
大阪市内・鶴見区テラスハウスを借りたのですが、やはり都会です。
当然ですが岩手とは環境がまったく違います。

ただ、もともと大阪育ちなので周りの環境にはすぐ馴染めたようです。
静かなところに住みたいと思って、岩手ではそういう場所を選んだのですが(とはいえ大通りから離れればどこもひっそりとしていましたが)、大阪に戻ってきて思ったのは、「居場所が静かであるほど、ちょっとした音が気になる」ことです。


今の借家は下町の中の密集したところで、ベランダから向かいの部屋が見えるし、隣家のベランダには無理なく移れるほど部屋が近いです。
賃貸物件としては「2階建の一軒家」でしたが、ネットの工事をした時の書類には「集合住宅」と表記されていました。まあその方が実態に近い。
で、そうなると近隣の生活音は当たり前のように、環境音として聞こえてきます。
たとえば浴室のシャワーの音、2階のテレビの音、壁から伝わる会話(おそらく間取りからして単身住まいの方が少ない)、きっかり朝7時に鳴り始まる工作機械の音(せせこましく縦長に並んだ住居に混じって、小さな町工場もいくつもあります)、子供の叫び声、散歩する犬の鳴き声(さいわい夜通し吠える犬は近所にいないようです)などなど。
そしてそれにすぐ適応できた自分に、当然だという思いに混じって驚きもありました。

その驚きというのがつまり、そういう生活騒音を嫌って最近まで住む場所を限定してきたのではなかったか、ということです。
思えばこれまで僕が騒音と感じてきた生活音は、たしかに常軌を逸して騒音だったのでした。
会社の寮の上階で長電話(高頻度かつ大声)の間中フローリングを大胆に(まず間違いなく「踵から力強く踏み下ろして)歩き回るインターン留学生だとか、「向かいが居酒屋、ベランダの真下がスポーツクラブ、そして立地が駅から大学へのメイン通学路」の京都のマンションだとか。
この家も生活音に満ちてはいますが、それらはもっと落ち着いていて、もっと当たり前なものです。
音の大小は、騒音として気になるかどうかの判断にそれほど関わっていない、という発見は僕には新しいものでした。
「事実に気付いた」というよりは「そう思えるようになった」のかもしれません。


「痛み分け」の効果もあるのだとは思います。
同じ不快や苦しみを、共有する誰かがいる場合と、自分一人で引き受けなければならない場合とで、その実際上のダメージは大きく変わります。
共有する他人の数によっても、やはり振れ幅は相当あるでしょう。
人口密度の高い都会暮らしには必然的に織り込まれる現象ですが、これを単に身体性の鈍磨をもたらすものと捉えてしまうのはおそらく短見です。
なにしろ、人が寄り集まることで形成される社会の、原初的性質でもあるのだから。

都会に住み、その生活上の便利さと仕事の成立しやすさを享受していくことになったからには、今まで避けてきたはずの都会暮らしの、僕なりの意義を見出していきたいと思います。
「僕なりの」という点が大事で、つい今しがた挙げたことも含めて、巷で言われる都会暮らしのメリットに何も新しいことはないし、それらは「あるなら利用する」程度に過ぎないものです。

機に縁し、縁を機する生き方でたどり着いた今は、いかなる今であっても(変な言い方だ)過去と関係しないはずがなく、関係が見えなければそれを見つける努力をしなければならない。
これを当為とするのは、縁には当事者が見えないものを引き寄せる磁力があり、その磁力は「無知の知」のごとく広大無辺であり、本人の目が開かれればその分だけ(といって「その分」がどれだけなのかはもちろん分からない)磁力も増大するからである。


書いているうちにこれからの生活が楽しみになってきました。
今日はこの辺で。