human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

図書館から生活思想を立ち上げる

以下で引用した本はウチダ氏のいう「コンピ本」で、ブログに書かれたものを編集者がかき集めて編まれており、従って全文がリンク先で読めます。
NHK職員によるインサイダー取引のニュースが話のマクラになっています。

今回のようなモラルハザードは「ルールを愚直に守る人間たちが多数派である場所では、ルールを破る少数派は利益を得ることができる」という経験知に基づいている。
だから、ルール違反をした本人は彼以外の人々はできれば全員が「ルールを遵守すること」を望んでいる。
そうであればあるほど利益が大きいからである。
高速道路で渋滞しているときに、ルール違反をして路肩を走っているドライバーは「自分のようにふるまうドライバー」ができるだけいないことを切望する。
それと同じことである。
しかし、この事実こそがモラルハザード存在論的陥穽なのである。
「自分のような人間」がこの世に存在しないことから利益を得ている人は、いずれ「自分のような人間」がこの世からひとりもいなくなることを願うようになるからである。
その願いはやがて「彼自身の消滅を求める呪い」となって彼自身に返ってくるであろう。
何度も申し上げていることであるが、もう一度言う。
道徳律というのはわかりやすいものである。
それは世の中が「自分のような人間」ばかりであっても、愉快に暮らしていけるような人間になるということに尽くされる。
それが自分に祝福を贈るということである


内田樹『邪悪なものの鎮め方』p.149-150
モラルハザードの構造 (内田樹の研究室)

自分がいま興味をもって読む複数の本は、分野が違っても共通点がなにかしらあって、その共通点は自分の関心と深く関係している。
図書館関係の本も定期的に読んでいて、それは僕がこれから就こうとしている司書職と直接結びつくはずの内容を含んでいて、そしてそれらと上記ウチダ氏や中沢新一渡辺京二*1各氏の言葉とが、同じ入口から僕の中に、あるいは違う入口から僕の中の同じある箇所にはたらきかけてくる。

 身の丈に合った生活をする。
  際限のない欲に駆られた消費から遠ざかる。
  自分や自分のまわりの人の必要に基づいて。
 
 過去と未来と親和した今を生きる。
  過去に縛られず過去をないがしろにしない。
  未来をないがしろにせず未来に希望をもつ。

図書館は「消費活動から離れた場」としてこれから重要になってきます。
コンテンツも、人が集まって活動する場としても、生活機能を担う場としても、重要です。
けれど、それらを安心して利用できるのは図書館が「経済とは無縁の場」だからです。
これは「タダだからお得」という意味ではありません。
安い、お得、高コスパ、こういった考え方から解放される、現代では希少な場なのです。
税金を使って自治体が運営するからこそ、こういう場が成立する。
(この意味では、佐賀の武雄図書館は「図書館」とは別物です)

消費が低迷して不況になると「生活」が苦しくなる。
こう言う時の「生活」は、明らかに身の丈を超えています。
というより、そもそも「不況」というものが架空の設定物です。
実体のない、お金の回り方に付された名称。
一個人の身の丈から、あまりにかけ離れた概念。

"世の中が「自分のような人間」ばかりであっても、愉快に暮らしていけるような人間"

そのような人間が、必ずしも社会成員の多数派であるとは限りません。
ウチダ氏の「モラルハザードの日常化」の話からすれば、少数派でしょう。
僕は、今の日本がどうあっても、そのような人間になりたいと思います。
「過去をないがしろにせず、未来に希望をもつ」のは、この意味においてです。

図書館は生活思想の面において、先進復古的な(過去と未来が親和した)場になり得ます。

 × × ×

拝啓 市長さま、こんな図書館をつくりましょう

拝啓 市長さま、こんな図書館をつくりましょう

知の広場――図書館と自由

知の広場――図書館と自由

野生の科学

野生の科学

コンヴィヴィアリティのための道具 (ちくま学芸文庫)

コンヴィヴィアリティのための道具 (ちくま学芸文庫)

*1:イリイチの本の訳者が渡辺氏(とおそらく氏の娘さん)です。なので「氏の言葉」というのは媒介者としての語り口に現れてきます。一文が長く、関係代名詞の構文が日本語としてわかりやすく整理されておらず、ゆっくりと(あるいは同じ箇所を何度か)読まないと分かりにくいですが、装飾のはぎ取られた実直な文章は渡辺氏のものだと感じられます。

スパイス考

昨日、帰りがけにギャバンフェンネルを買いました。

 × × ×

とだけ書くといろいろと「?」な文ですが(「ファンネル」じゃないのか、とか。いや誰も思わないか…そういえば「宇宙刑事ギャバン」というのがありましたね。古いか)、フェンネルは香辛料です。

さっき作って食べた夕食は「カレーのお焼き」で、作りだめしたカレーのバリエーションとして何度か作るうちに「焼きカレー」(グラタン皿に米+カレーを盛ってチーズ+αをトッピング。そういえば遍路で高知の民宿兼「隠れ家的カフェ」の夕食に出て初めてその存在を知ったのでした)「焼き野菜カレー」(カレーに具はあるが別途にオーブンで焼いた野菜を加える)などいくつか加えてきたうちの一つで、そういえば作りだめした野菜スープの残りにも同じことをしていたんですが、カレーに米と小麦と片栗粉を適量加えてタネをつくり、油を引いたフライパンで焼き上げるもので、今日はタネがお焼き4個分できたので、片面に香辛料を変えて振ることで味の違いを出しました。

その香辛料とはカレー粉にも入っているもので、でも特定種(2種類)を表面に振るものだからその2種の味が引き立ってきて、香辛料の特徴がわかるし、それらがカレーの中でどう引き立つかもわかるという、たいへん勉強になる夕食でした。

そものはじめ香辛料は、自作カレーを「カレー粉を使わずに」つくるつもりで買い始めたんですが、ある時カレーのレシピ本(たしか「レトルトでもこんなに旨い」的な)に「カレーの隠し味ランキング」という記事があって、その中にコーヒーがあるのを見て、常々頭の中にあったもやもやが言葉になったんですが、すなわち「カレーの隠し味にコーヒーがいけるなら、コーヒーの隠し味にカレー(粉)もアリだろう」と、まあ標語的にこう書いたものの実際ドリッパー上のコーヒー粉にカレー粉を振ったことはなくて、要はカレー粉を構成する個々の香辛料をコーヒースパイスとして使えるだろうという発想に至ったわけですが、思えばクミンコーヒーなるものを昔自分で編み出したこともありました。

cheechoff.hatenadiary.jp

…とここまで書いて、上に張ったリンク先の記事を読み返してみると、「コーヒー×カレー」の発想を梨木香歩氏のエッセイを読んで得ていたようです。そうだったのか。

 × × ×

本題。
カレー粉の成分表を見て「ふんふん、いろいろ入ってるのね」と勉強し、カレーのレシピ本(これはたぶん自分で味付けするやつ)のレシピにある登場頻度とか分量の多い香辛料をチョイスして、クミン・カルダモン・ターメリックから買い始めたのがたぶん数ヶ月前で、それから時々スーパーの調味料棚を通るたびに小瓶を手に取って説明書きを読んで気に入ったらというか気になったら買う(学生時に業務スーパーの肉で一時期食いつないだ時期があって、食材を100グラム単価で価値付ける癖もとい貧乏性が身についてしまって未だ無意識に居座っているため、香辛料がとても高価に思えて一度にたくさん購入できないのです)ことをいくたびか繰り返し、その直近の1回が昨日のフェンネル購入でした。

僕の生活において香辛料は「カレースパイス」かつ「コーヒースパイス」であると同時に「ミューズリースパイス」でもあって、ミューズリーに入れるのはアララ(というイギリスメーカー)の無糖ミューズリー(たしかDELUXなんたらという種類)にカルダモンが入っているのを見て「なるほど」と思って始めたもので、こちらはこちらでけっこうこだわりというか体系ができあがってきていて、いつか記事に書こうとは思っていますが今回は本題ではなく、ここで書こうと思っているのはその上位概念、つまり香辛料そのものについてです。

コーヒーやらミューズリーにいろいろと種類や組み合わせを変えてスパイスを入れてきて、個々のスパイスの特徴がだんだんと見分けられるようになってきたので(最初はクミンとカルダモンの違いもよくわかりませんでした)、ここでひとつその違いを言葉にしてみようじゃないか、と、今晩のお焼きを食べながら思いついたのでした。

が、ここまで書くのに疲れたので、列挙だけやっておいて本題の中身は後半にまわすことにしましょう。

名称 形態 原産国 備考
クミン パウダー トルコ  
カルダモン パウダー インド  
ターメリック パウダー インド うこん
ホァジョー パウダー 中国 中国産山椒
コリアンダー パウダー マレーシア *1
ナツメッグ パウダー インドネシア  
クローブ パウダー (記載なし)  
フェンネル パウダー (記載なし)  
シナモン フレーク インドネシア 瓶にミル付属
バジル みじん切り エジプト  
オレガノ みじん切り トルコ  
セージ パウダー トルコ *2
パクチー みじん切り フランス 香菜(シャンツァイ)

 × × ×

3/18追記

フェンネルの香りが、料理ではなく昔のいろいろな記憶の断片を呼び起こしたのですが、それを言葉にしようとして嗅ぐと、言葉は逃げていってしまいました。
名前がメジャーでないこと、そして代表的な料理がない(というか僕が知らない)ことで料理の記憶が香りとリンクしていないこと、それでも実際はいろんな料理に使われていることが、子供の頃によく行っていたよくわからない施設(ビルの名前は覚えていて、新車売り場にあるような子供の遊び場もあったんですが、何の目的をもった建物だったんでしょう)の記憶に結びつくことになったのでしょう。

というわけで、一つひとつのスパイスについて書こうと思っていましたが、それはやめておくことにします。

以下は、後編として書こうとしたなにか。
構造、メカニズムとしてはあるていど考えられるんですが、
生情報が含まれていないという意味で、今の自分にはあまり面白くないので筆を折りました。


 スパイスは記憶と結びつきやすい。
 ささやかな、うっすらとした記憶。
 断片、印象。
 それはスパイスの特性に因っている。
 引き立て役、下で、あるいは上で支える。

 ある一瞬と共に活発になっていた五感。
 記憶に「色」がつくメカニズム。
 色の質量と明確さは視覚が優れる。
 耳と鼻はそれぞれの曖昧さで脳に刻む。
 色の曖昧さに加えての、意思の曖昧さ。
 無意識に晒されるのは、嗅覚の方が上。
 記憶の曖昧さは相互のリンクしやすさにつながる。
 

*1:豆知識でもなんでもありませんが、SFCバハムートラグーン」にコリアンダーという敵(グランベロス帝国だったかな…)がいた記憶があります。固有名詞の知識が増えていくとへんな所でつながりが出てきますね。

*2:これもゲームの話ですが、SFC「テイルズ・オブ・ファンタジア」では使用により能力値がアップする薬草として出てきます(たしかに薬効がありそうな風味で、風邪を引いた時はコーヒーを飲まないのですが(経験上悪化するので)、治りかけから完治までは薄めのセージコーヒーがなぜか美味しく感じます)。ゲームをやっていた当時は中学生で、「ソーセージとなんか関係あんの?」とか思っていました。薬草ではあと「とうちゅうかそう」というのも出てきて、漢字を全く想像しなかった(だから草だとも思わなかった)のを覚えています。「薬草」という分類は今の僕がしていて、当時は「能力アップのアイテム」という認識だったでしょう。

シューズ補修、ジムあれこれ、ムージル読了

ライミングシューズのソールの補修をしました。
足裏に穴が開き、穴はゴムとプラスチックの下地と足裏接触面の布地を貫通していました。
布地部までの穴は直径約1センチ、ゴム部分は直径約2センチほど。
紫波の店に置いてあった補修キットを昨日買い、今日さっそく使いました。

補修自体は二度目で、一度目は市販のゴム用接着剤と下駄の歯のクッション材(ゴム製、一本歯修行時に使っていた余り)を使いましたが、ジムへの復帰後初日で外れてしまいました。

キットはこれで、粉末ゴムと接着剤を練り合わせて、補修部表面にも接着剤を塗って練りゴムを塗り付けるもの。
Amazonレビューに素晴らしい解説があるんですが、作業が終わってから見たので活かせませんでした…次はこれを参考に着実にやります。
(紙ヤスリの話は店でも聞いていたのに忘れていました…)
で、次回のためにレビューのコツ部分を転載しておきます。引用元は上のリンク。下線引用者。

コツは
①しっかり荒い紙やすりでソールを磨いておく
②アルコールで脱脂をする
③ゴム粉末はダマになってるのでボンドを混ぜる前にしっかりほぐしておく
④ソールにはボンドを薄く塗り広げて半乾きの状態にしておく
⑤ゴムとボンドの分量は規定量よりボンドを少し多くして柔らかくしておくと塗りやすい
⑥ソールに乗せていくようにゴムを広げていく。塗り広げようとすると、ガラス棒について来てしまうので難しい。ソールにあらかじめ塗っておいたボンドに乗せていくようにしていくとよい
⑦半乾きになるまで待ち、ガラス棒で潰すようにしながら平らにしていく
⑧表面が乾燥したら指で表面をならしました。

一晩で乾くとキットの説明書にはありますが、店の人は1週間はみておくいいとのことなので(寒いし)、今週はジムではレンタルシューズを使うことにします。
(二足目は足がきつくて6時間ぶっ通しでは履けないので)


そういえば昨日紫波へはいつも通り図書館へ行きましたが、そのついでに盛岡のジム「ストーンセッションズ」へも行きました。
同じく盛岡のワンムーブもそうでしたが北上クラムボンよりは辛口で、五段階レベル(ピンク、水色、赤、グレー、白)の水色で既にかなりきつかった。
(グレーは「もう少しで神」、白は「神レベル」とのこと)
初級のはずのピンクでもホールド間隔が広く、設定コースは小さい子供を想定していないようでした(恐らくシールのないオリジナルコースがあるのでしょう)。
やってる人を見ていて、強傾斜で「ブラ」(ホールドに飛びつく時に足が離れてぶら下がる状態)がとても多いと感じたのも、間隔の広さのせいだと思います。
そして(特に強傾斜で)壁がホールドで埋まっていて隙間がほとんどないのが、クラムボンに慣れているとなかなか威圧感があります。この点は通い甲斐がありそうですが。
そしてジムの手前の部屋がクラブのようになっていて、DJがいて、ジャズをずっと流していました。
ジャズはいいんですが(北上のジムでほんの時たまかかる絶叫ロックよりは)、どうも頭が空っぽになりすぎる気がしましたが…
無音で登るのも僕は構いませんけれどね。
そういえばワンムーブではふつうのFMラジオが流れていました。北上はたぶんドイツあたりのラジオか有線です。

 × × ×

『特性のない男』(R.ムージル)全6巻を先日ようやく読了しました。
感想等は何もありませんが、読み始めてたぶん5ヶ月くらい経ち、ちょうど新年度前ということもあって、一つの節目と考えています。

春には生活に何らかの動きが、見られるはずです。

動く前に四国遍路回想記を書いておきたいところですが(ちょうど1年前のことで、しかし期間どうこうではなく、「前世の記憶」のような遠さがあります)、きっと1週間くらい大沢温泉自炊部にカンヅメだろうと思いつつ、今日はこれから優香苑へ行ってきます。

露天風呂プチボルダー

また風邪を引きました。
たぶん風呂上がりに冷たい水(リンゴ酢をちょっと足したもの)やらを飲んでいたせいです。
水道水はもちろん凍る手前の冷たさで喉によくないんですが、「あ、大丈夫だ」と思うと量が増えて、同じく風呂上がりに飲む大豆飲料も以前は温めていたのに(喉越しがいいから)冷たいままで飲むようになって、それが行き過ぎたのだと思います。
すぐ治りそうな気配があったんですが、喉から始まった症状が鼻に長く残っていて治り切りません。
花粉症を疑ってアレグラを飲みましたがたぶんシーズンはまだ早い(シーズン前に目から症状が出始めるのが常ですが、それにもまだ早い。まだまだ日中氷点下の日が続きますからね)。

で、風邪を引くと、というか体調を崩すと日常的に酷使している部分が痛むのが常で、今回は股関節まわりが痛んでいます。
ボルダリングを始めた時から(入門書通りの)ストレッチは念入りにやっていて、お陰で開脚前屈などで以前の自分ではあり得ないほど柔らかくなっているのを日々実感しているのですが、その股関節まわりのストレッチ時に臀部や太腿背部の付根にかなり負担をかけるようで、風邪が完治手前の今は「そこ」が痛いです。
前屈する姿勢をとったり、高い足場に足をかけて踏ん張ったり(これはジムで登る時ですが)すると痛くて、つまり下半身を効果的に使って登る場面全般で痛む。
それでやる気が削がれて(腕だけで登りたくないので)、温泉で一休みすることにしました。

今回は温泉の効能重視なので、今日は山の神温泉・優香苑へ行きました。
3、4回目くらいになると思います。
夕方に日帰りで入館して、湯船(内湯・露天)に浸かったり出たりを繰り返して、さらに一度湯殿を出てフロアの椅子で休んで*1からまた入りました。

露天風呂では人がいない時に、湯を囲む岩を使って「外岩演習」をしていました。
もちろんボルダリングの話で、岩にしがみついて登るふりをするということなんですが、具体的には、ほとんどつかみどころがないようなまるっとした岩の凹凸を探って指がかかりそうな箇所を見つけて(右)手を引っ掛けて、同時に同じ岩の低い部分か湯船の中の岩で(左)足のかかとが引っかかる部分を探してかけて、手が外れないようにしながら足にヨイショと力を入れて次の(左)手を取りに行く、というムーブを試していました。
半分以上体が湯に浸かっているのでそう力がいらなかったり、足が裸足だったりで外岩(ボルダー)登攀と条件は違いますが、雰囲気はつかめたような気がします。

実際に本物の外岩を登るときはさぞ楽しかろうな、とまず思いました。
その楽しさについて言葉にするとすれば、まず「自然への身体運用の適応」と言ってみましょう。
岩の形状や表面状態はまさに自然で、人間がよじ登るために融通を利かせたなりをしているわけではありません。
その岩を、しかし登ろうとする人間は、いかに登りやすくできるかと、ルートを考え、また動き(手足を岩の表面にどう掛けるか、そして身体をどう持ち上げていくか)を考えます。

僕は温泉の岩の表面を手で撫でながら「スイートスポット」を探し当て、右手と左足(のヒール)で全身をしっかり固定できた時に、ある爽快さを感じました。
「自然との一体化」という言葉がまず浮かび、でも言いたいニュアンスと違うなと思って再考し、最終的には上記の表現が整っているかとは思ったんですが、それに行き着くまでに思いついたのが、いつも僕の念頭にある「ありもの」の思想。

岩は、おそらく人間の意図を越えて、すでにそこにある。
それは「ありもの」である。
ジムにある、登る為に誂えられた人工壁のホールドと決定的に違うのがこの点。
「登れるか登れないか」の見極めが最初にあるが、とにかくまずは、登れるものとしてオブザベーションを行う。
この姿勢は、原住民がジャングルを渉猟しながら、枯れ木や石ころを「なにかに使えるもの」として合切袋に放り込むのと、そう変わらない。
「ありもの」が目の前あって、要(かなめ)は、それをどう活かすかという人の工夫に委ねられている。
ブリコラージュ。

 × × ×

上の「スイートスポット」はたぶん使い方が間違っていますが、まあ文脈でわかると思うのでそのままにしておいて、それはさておき、「スイートスポット ボルダリング」で検索して、素朴な外岩登攀の動画を見つけたのではっつけておきます。
楽しそう。
www.youtube.com
この動画のあった記事↓には「瑞牆」とあり、瑞牆山というのが山梨県にあるようです。動画タイトルにもありますね。rocas.in
花巻市内では、大迫(おおはざま)にボルダースポットがある、と紫波オガールのクライミング用品店主から、二足目を買いに行った時に教えてもらいました。
雪が溶けて、さらに乾いてからやっと登れるようになるらしく、シーズンというか、店主夫妻が登りに行き始めるのは5月初旬だとのこと。
その時にまだここにいれば、ぜひついて行きたいとは思いますが。

*1:温泉へ行く前に借りた『物語とふしぎ』(河合隼雄)を読み始めました。今読中の最終巻『特性のない男Ⅵ』(ムージル)の前巻と共鳴する箇所があったのでまた別記事に書きましょう。

「ここに重力があるから」

ライミングシューズの二足目↓を買いました。
スポルティバのフューチュラというシューズ。
一足目↓↓は7ヶ月前に手に入れたスカルパのフォースです。
こちらは司書講習が始まる前にジムに通い始め、三度目で購入したもの。

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cheechoff.hatenadiary.jp

最初からだいたい週3で、講習中は3h/day、その後は平均して6h/dayというあたり。
店で一足目を見せた時に「(消耗が)プロ級ですね」と言われました。
ボルダリングを生活に組み込んでひたすら登っていただけのことはあります。
足重視の登壁スタイルも足裏の摩滅に拍車をかけたようです。

フォースの右足裏↓は指先でシューズ内底の生地が露出してしまいました。
まだまだ使えるはずですが、極小の足用ホールド(?)には乗れなさそうです。
こまめに使い分ければ長持ちするようなので、引き続き使っていきます。
というよりフューチュラはきつくて長時間履けないので、しばらくフォースが主力です。

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フューチュラのソール(靴底)はダウントゥのターンインタイプ。
ダウントゥは鉛直方向の形状表現で、つま先が下がって土踏まずが大きく浮く。
ターンインは水平方向の形状表現で、つま先が内側にカーブしている。
一方のフォースはオーソドックスな、フラットのストレートタイプ。

写真が暗いですが、二足を並べる↓とダウントゥの感じがわかると思います。

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left : SCARPA-Force   right : LA SPORTIVA-Futura

店で試し履きをした時に、フューチュラと同じくスポルティバのソリューションと迷いました。
履いた時のきつさが、後者は足の部位に偏りなくフィット感が良かったのです。
その登りやすさも店主のお墨付きでしたが、ソールやヒールが硬い印象がありました。
逆にフューチュラは全体的にやわらかく、足裏感覚もソリューションより繊細でした。

フューチュラは上級者用だと言われ、でもその理由は足使いの微妙な加減ができる点にある。
クライマーの技術を底上げしてくれる機能でいえば、ソリューションの方が高い。
フューチュラはクライマーが「頼る」というより、足捌きを素直に反映するシューズといえる。
ひとしきり悩んだのち、身体性の賦活という登壁思想に従ってフューチュラにしたわけです。

watabotchさんの分析↓によると、両者ともプロのクライマーにけっこう使われているようです。

hiker-hiker.hatenablog.com

 × × ×

今の生活に若干動きが出そうな予感がありつつも、変わらず登り続けています。
「生活としてのボルダリング」は身体への無理もなく定着したようです。
また、機会があれば登りたい「外岩」にも手を出せるレベルになっている気がします。
今後も住むところにジムか外岩がある限り、登り続けることになるでしょう。

ある登山家は、彼の登る理由を問われて「そこに山があるから」と答えた。
ライミングは抽象すれば、なんでもいいから上方に向かって登ることです。
室内壁、ボルダー(外岩)、崖、あるいは木、城壁、マンションの外壁(おっと)、等々。
手近に足場さえあれば、「重力に抗する営み」をすぐにでも始めることができます。

宇宙空間でのボルダリングはきっと楽しくないことを思えば、登る理由は「これ」でしょう。

「からすの行水」未遂事件

最初に一枚。
さて、これや如何に、以下やこれに。

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一つ前の記事にトイレ水道が凍った話を書きましたが、
つい3日前のこと、今度は浴室のお湯が出なくなりました。
ボルダリングからヘトヘトで帰ってきて僅かな余力でお湯を張ろうと、
蛇口を回すと出ない、水もお湯も出ない。

蛇口の末端、吐出口が凍ることは何度かあったのでそれかと思い、
その時の対応としていつも通りケトルの熱湯をかけてあげると、
さて水は復帰したがお湯が引き続いて出ない。
あ、まずい、と第一考、水道屋を呼ぶことを考えました。が…


「水抜きしていても凍る時は凍る」と近所の中華料理屋マスターに言われていて、
そんなもんかなと最初は思ってましたがこの時期を過ごすにつれ実感してきたのは、
「水抜きをしても抜けてない所の水が凍る」ということ。
知識としてはありましたが、「抜けてない所」が具体的にわかってきたということです。

とりあえず今夜のところはおあずけか、と納得するまでには時間がかかり、
なぜだなぜだとズルズル鈍い頭をひとしきり回していたのですが、
そこで水抜きが甘かった可能性に思い当たりました。
ちょっとした手間を省いて「蛇口全開放で水抜き栓を回す」をしていなかったのです。

もしそうなら水道管内の水が凍結して破裂することもあるまいと短絡的に考え、
仮にどこかが破損して水だだ漏れ状態になってたら水道メーターを見ればわかる、
と傍見で面倒な考え方をしたのは頭が落ち着いた翌日になってからのことですが、
「雪国生活を(手抜きせずに)体験する」という方針を思い出したのがその理由です。

つまり「まずは身近なところで解決を図る」ということで、
他の蛇口から浴槽にお湯を引っ張ればよいかと思い、
ホームセンターでオールインワンのホースセット(写真)を購入しました。
店に行くまではホースと蛇口の留め金だけを想像してましたが、いまは便利になってますね。


そのお湯が止まった翌日は買い物と、「ついで」と「せっかくだから」で温泉に行きました。
行きつけになってる"優香苑"にと思って車で向かい始めるとすぐ前にパトカーがついて、
しばらくくっついて走るうちに気が変わって目的地より数キロ手前の"風の季"にしようと、
思ったら浴室清掃だかで日帰り受付が終わっていたのでそのお隣の"志度平温泉"へ行きました。

大きなホテルにある温泉で、まあそういうなりの温泉でしたが、なんとプールがありました。
レーンが並ぶ素朴なプールではありませんが、フロントで聞くと温水で25mはあるとのこと。
泳げるところがないなと花巻に来て思っていたので、また一度行ってみようと思います。
ホテルの温泉はさておき、プールの存在が知れたのはお湯が止まったおかげ、と言ってもいい。


温泉へ行った翌日、つまり昨日の夜ですが、相変わらず浴室のお湯は止まったままなので、
考えていた通りキッチンの蛇口から浴槽へお湯を引っ張ることにしました(上の写真)。
ホースが細くて通常より3倍ほど湯溜めに時間がかかりそうで、悠長に待っていましたが、
その終盤、湯を張る音に、実は期待していた大きな音が混ざって「おっ!」と思いました。

なにかといえばもちろん、浴室の蛇口からお湯が出てくるお馴染みの音でした。
近く復帰することもあろうと、水抜き栓を閉め、蛇口を開放していたのでした。
浴槽に湯を溜める途中に凍った水が溶けたことからは、一つの推測しか導けません。
つまり凍っていたのは、地中ではなく、浴室まわりを通る水道管の水だった、と。


というわけで、シャワーを使わずに風呂に入る覚悟は果たされずに済みました。
本記事タイトルはその表現で、日常との対比もこれに込められているんですが、
いつもはボルダリングで疲れた全身をほぐしたり云々でかなり長湯なのです。
湯が足せない、頭も体も洗えないなら、パッと入ってサッと上がっちゃおう。

という「覚悟」は別に悲愴なものでもなくて、これには前に読んだ漢方本が関係しています。
たしか「人体の免疫作用の8割は皮膚で発揮される」みたいな話の中で、
「垢は大事で、湯船につかるのはよいが体をこすって洗うのはよくない」という発言があった。
せっかくだからこれを実地で試してみよう、という思惑が「覚悟」に混ざっていたのでした。

あとは「かゆくなったら近くの温泉にも行けるな」といういい口実にもなったので、
長期戦を想定していたのに「開戦直前」にアッサリ解決してしまい拍子抜けの感もあります。
まあまた起こることもあり得るし、すぐに復帰しないこともあり得ることなので、
その時その場で、皮算用つきの身近な対応をしていこうと思います。


誰も思わなかったかもですが、まったくミステリィな話ではありませんでした。
ちゃんちゃん。

冷凍トイレ、転ばぬ先の葛根湯、「必然」の健康観

昨日からしばし寒さが落ち着いています。
最近書いていなかった主な理由は寒いからです。
暖房をかけ続けると空気が濁ってくるので時々しか点けず、
すると長時間テーブルに座って何かをすることができない。

起床時にトイレの水が止まったことがこれまで二度あって、
水抜きしていたのにの関わらず凍ったのならそれは室内で、
学習してトイレに常備しているヒーターをつけておくと、
10分かそこらで水の流れが復旧します。

(水抜き栓を戻す時に水道管に水が充填される音が聞こえるのですが、
 上記の水が止まった時にもその充填音が聞こえていたので、
 これも凍ったのでは外ではなく中だというヒントになります。
 換気している風呂場の蛇口付近の水もよく凍ることがあります)

が、今季いちばん厳しく冷えた一昨日の夜にトイレの水抜きを忘れました。
予報で最低気温マイナス10℃の日で、案の定水抜き栓に全く応答しない。
室内ではヒーターをかけつつ、外では「それらしき所」に熱湯をかけました。
遠隔式水抜き栓↓の先が埋まっている周辺の、水道管が通っていそうな辺り。

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写真はそれより前、初めてどっさり積もった時に撮ったものです。
初雪かきだったので通り道のほかにいろいろ掘り起こしていたのですが、
昨日気付いたのは、たぶん水道管直上の地面に雪は残した方がよいこと。
畑の野菜に雪を積もらせて冷害を防ぐのと同じことだと思います。

 × × ×

しばしば葛根湯を飲むようになりました。
大きな風邪を引いたのは昨年暮れの一度だけ(2週間続いた)でしたが、
風邪の予感は何度かあって、そのたびに予感段階で漢方を頼っています。
漢方(的思想)の紹介本↓を読んで、生活にいろいろと影響を与えています。

丁先生、漢方って、おもしろいです。

丁先生、漢方って、おもしろいです。

漢方薬には「上品・中品・下品」というグレードがあって、
その基準は効能の大きさではなく「副作用がいかに小さいか」だそうです。
そして「同じ薬が下痢にも便秘にも効く」という漢方薬の例もあって、
漢方の目指すところは病原の除去よりは中庸状態の回復促進にある。

「促進」は助太刀の立ち位置で、つまり本人の現状復帰力がメインとなる。
そして服用して病の気が消えることもあり、何も起こらないと感じることがある。
後者が望ましいことの理由は、良い漢方薬が「上品」であることにあります。
副作用もなく自然と治ったと思えるなら、体の状態が良いという証拠です。


漢方はどうも、武道と通じるところがあります。
外力(特に局所的な効力をもつもの)に依存せず、身体全体の潜在力を活かす。
連想するに、身体教育研究所長・野口裕之氏の健康観とも通じます。
健康は良きを目指すのでなく、個々の身体にあるべき健康状態がある、という。

京都にいた時、氏の公開講話に一度だけ行ったことがあります。
その時に聞いた話か、『朴歯の下駄』に書いてあったかだと思います。
数学者・秋山仁ニヒリズムにどっぷりと深浸けしたような風貌を今思い出します。
講話の内容は他言無用と言われたので、講話の日にさわりだけ↓書きました。

cheechoff.hatenadiary.jp

身体性の賦活と、健康であり続けることはイコールではありません。
身体が丈夫でも体調を崩す時は崩します。
その時に、不調をものともせずに普段通りに動き回れるよりも、
不調を敏感に受け止めて「不調に適った動き」ができる方を目指す。

これは壮年期の人にとって「老いと向き合う」ことと同じでしょう。
けれど事は、老いを身に感じ始めた人だけの問題ではない。
たとえば、経済成長を諦める縮小社会のメタファーでもありえます。
個々の身体ではなく社会の問題と見れば、それは全成員に関わってきます。

「弱さ」を言祝げれば、新しい時代の地平でその朝日を拝めることでしょう。

「人間と共に、黄昏の時代を生きていきます」とセルムに決意を語ったナウシカのように。

風の谷のナウシカ 6 (アニメージュコミックスワイド判)

風の谷のナウシカ 6 (アニメージュコミックスワイド判)

ゆくとしくるとし('17→'18)

2017年も年の瀬です。

今年は未だかつてないほど世間と隔絶した生活をしていました。
曜日感覚と季節感を除いて、時を刻む音を耳にしませんでした。
ともあれ、毎年恒例ということで少しばかり振り返ってみることにします。
去年までと違い、今年はこのブログに「ゆくくる」本文を書きます。

例年通り、BGMは不始末さんのこちら。毎度お世話になります。

 × × ×

あとで触れますが、今年は岩手で年を越します。
初詣は近所にある鼬幣(いたちべい)稲荷神社へ行くつもりです。
当たり前の雪景色で、数日前に積もった雪で道路は凍っています。
寒さにも慣れたので、距離も近いし歩いてみようと思います。

今日は夕方から、ここ2年分の「ゆくくる」を読み返していました。
読み終えてから今年分を書こうと思い、その量の多さに驚きました。
お腹が空いてきたので書く前に夕食を作り始めましたが、
ご飯を炊いていないことに気付き、途中で止めて先に書き始めています。

 × × ×

内田樹氏に倣い、今年の個人的十大ニュース(時系列順)。

 1. 夜の京都の街(鴨川沿い)を一本歯下駄で闊歩
 2. その勢いで四国遍路を一本歯下駄で踏破
 3. 京都市左京区から岩手県花巻市へ高飛び
 4. 積年の興味対象だったボルダリングを始める
 5. 東北の涼夏を感じつつ7年ぶりに大学へ通う
 6. 2ヶ月半の短期講習を終えて「図書館司書」資格を取得
 7. 終始流れに身を任せて「短期集中恋愛飯事」を行う
 8. 東北3県9ヶ所の公立図書館ツアーを敢行
 9. 村上春樹小説に端を発する待望の「雪かき」を実地体験
 10. 司書のモチベーションを維持しつつ「読書と登壁」生活

10個もないと思ってましたが、書いてみると、あるものですね。
項目の所々をひろって、かるく解説しておきます。
まずは別途参照のものから。

(2)は帰還後所感記、気まぐれリアルタイム道中記、更新途絶中の回想記などに任せます*1
(4)は「登ること」のタグがついた記事群にいろいろ書いています。
(7)は「ある関係の始終」と題する数記事に「非常に抽象的に」書かれています。
一言だけ具体的なことを言い添えると、相手は「年下バツイチ子有り彼氏持ち」でした。
(8)は具体的に見学した図書館についてここに列挙しました。

…ご飯が炊けたので先に夕食を食べようと思います。

玄米ですが、こういう事態は何度かあり、「白米早炊き」で炊きます。
水分が粒の中まで浸透しませんが、まあ仕方ありません。
「くえるだけでもありがたや はらにはいればみなおなじ」
とは、『忍玉乱太郎』の忍術学園臨時教師、黒影半蔵もとい「黒コゲパン蔵」の言葉。

いや、不味いほどではありませんが。 ** : **

 × × ×

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というわけで今年最後の晩ご飯。

最近「薄味」生活を始めています。
漬け物は雪菜(宮城産)とにんじんの浅漬け、わさび風味。
味噌汁は同じく雪菜とメークイン、味噌は岩手の田舎味噌。
木綿豆腐の上には京都の白味噌がのっけてあります。

これで玄米ご飯を茶碗にもう1杯食べて、腹八分目。

 × × ×

先の十大ニュースの続き。

(9)、(10)が進行形で、(10)が今の生活を端的に表しています。
仕事は求職中で、とにかくまずは図書館で働くつもりです。
花巻で働くのか、あるいはまた別天地で見つけるのかは縁次第です。
岩手にはとりあえずひと冬を越すまではいると思います。

「司書のモチベーション」は、これまたどういう経緯か、力添えを頂いています。
司書講習の同期の方で、人生経験豊富で僕より一回り半ほど年上の「ラテン系姐御」。
その人M女史は地元T市で子ども図書館のフルタイム職を得たようで、
「週報」と題してT市の図書館事情をはじめ色々な情報を送ってくれています。

この場を借りてお礼申し上げ、司書職が叶った暁には「週報返し」をする所存です。

 × × ×

上で触れた「2年分のゆくくる」ですが、自分で書いたのですが読んで驚きました。
文章量もさることながら、2つの強い意思をまざまざと感じました。
ひとつは、頭の回転のなすがままに、という奔放さに従う強さ。
いまひとつは、可能な限り緻密に論理的に言葉にしてやろうという強さ。

今の自分が読んでもとても面白いのは、興味関心がほぼそのままだからです。
それでも感心までしてしまうのは、今はこうは書けないと思うからです。
さっき読んでみて、保坂和志森博嗣(の文体)の影響をはっきり感じました。
内容として今の生活と関わるところがいくつかあったので、抜粋しておきます。

<去年>
 1. ゆくとしくるとし('16→'17) : 深爪エリマキトカゲ
<おととし>
 2. 生活だけがあった年 : 深爪エリマキトカゲ
 3. ゆくとしくるとし(´15→´16)1 : 深爪エリマキトカゲ
 4. interlude -京都和歩と憑依想像遊戯- : 深爪エリマキトカゲ
 5. ゆくとしくるとし('15→'16)2 : 深爪エリマキトカゲ

会社を辞めて田舎暮らしをしたいのかというと、まだよくわかりません。
感受性を下げる要因が少ない、むしろ感度を高める喜びすらある(というのは実際を知らない僕の想像ですが)という意味では田舎暮らしは魅力的ですが、今のところ魅力を感じるのはその点のみです。
人が少ないのも自分向きのような気はしますがこれは現状と比較してのことで、本格的に人口の少ない街や村で暮らしたことがないので人の少なさが自分にどういう心境の変化をもたらすかについては、好悪は不明でただ興味だけがあります。
田舎でする仕事などはなおさら何も想像していなくて、むしろ一度仕事を辞めたら「何も仕事をしない生活」を数年くらいは続けてみたいと思っているくらいで、これは明らかに保坂和志のエッセイや小説の影響を受けています。...(3)

これは2年前、まだ会社を辞める前に書かれたものです。
この抜粋の全体として、今はだいたいこの通りになっています。
花巻はここで考えられているほどの田舎ではありませんが。
「何も仕事をしない生活」を始めて1年と3月になりますが、さて今後はどうなるか。

僕は「専門家にはなりたくない」という漠然とした認識を持っていて、でもこれをちゃんと言えば「視野が狭くなって他の専門分野に興味を持たず、他者の思考を尊重しない専門家にはなりたくない」であって、そうならない道として昔は「(狭く深く、ではなく)浅く広く」しかないと思い込んでいたのですが、(…)「浅く広く」もやり方次第では「一つの専門」になりうると思います。たとえば「雑学クイズ王」みたいなものかもしれません。僕の今の興味からすれば「生活の専門家」と表現すれば言いたいことが言えていることになるのですが、実際的な面と同時に思想的な面もフォローするには「生活」という言葉は実際側に傾きすぎているように思えます(鶴見俊輔氏の「限界芸術」にならって「限界生活」とかどうでしょうか…なんか限界集落みたいな響きがしますね。ふと「電波少年」の”なすびの懸賞生活”を思い出しました)。

『風土』の話から逸れて何が言いたかったのかというと、昔は興味を持てなかった本に興味がもてるようになったこと(を認識したこと)から、『喜嶋先生~』にあった「専門の深化がたどり着ける普遍」を連想し、そこから、僕自身が距離をおいていると思っていた何かしらの「専門性」を僕が持ちつつあるのではないか、ということも考えてみたのでした。
このことは連想しただけで、それを今掘り下げてみようと思いませんが(なんとなく、今「生活」としてやっていることが「仕事」に結びつきそうな気がするのです。これもまた今の僕が避けようとしている認識です)、とても大事なテーマだとも思うので、今書いているこの文章を読み返す未来の自分に期待するとしましょう。...(4)

この抜粋太字部を読んで、「未来の自分」とはまさに今の自分ではないのかと思いました。
というのも、最近の記事でも触れましたが、ちょうど甲野氏のこの本を読んでいたからです。
今日読了したそのタイトルは、まさに『今までにない職業をつくる』。
過去の自分に期待されてるからには、発奮せずにはいられない…かもしれません。

司書講習中は、同期I氏と「司書サービス付き野菜スープスパゲティ屋」構想を練っていました。
これは8割方冗談でしたが、休みの日に調理メニューの研究をしたりもしました。
また上記M女史には「司書よりブックカフェ店主の方が似合うんじゃない?」と言われました。
その時彼女は、コスタリカにいくつかあるというブックカフェの話をしてくれました。

敢えて今これを考えるなら、列挙できるキーワードは決まっています。
「本(読書)」「非集団」「司書」「生活(思想)」「身体性」「武道(ボルダリング)」。
最後がおかしいですが、自分の興味を並べればこんなところです。
これ以上は掘り下げませんが、このキーワードも、未来の自分への縁としておきましょう。

 × × ×

夜になって、ふと玄関から外を見ると雪が降っていました。
その前にトイレに行った時に感じた静けさで、それは分かっていました。
雪が降ると、そして積もっているとさらに、とても静かになります。
この静けさは、経験した最初から、とても好きです。

「余計なことをしない」というストイックさが、ここでは自然と身につきます。
ちゃんと環境を整えずに気を緩めることを、厳しい寒さは許してくれません。
この行動の制限は、必然性という結晶となって僕の一部となります。
逆から言えば、不自由という側面が必然性のなさを除去してくれるように感じます。


仕事をせずに、一日家で読書をするか、登壁ジムを車で往復するだけの現状では、
雪国生活はとても自分の性質に合っている気がします。
好きではなかった車も、生活上の必要が身に染みて、当たり前に乗るようになりました。
実際の仕事事情、それとあとは豪雪と極寒の経験次第では、定住の可能性もなくはない。

とはいえ、それを決めるのも、僕自身ではないという予感があります。
ここ何年かの「ゆくくる」に書いた通り、縁に従って仕事を見つけ、そこで生活をする。
司書資格をとろうと思った経緯はもう忘れましたが、自分で決めた印象はあまり残っていない。
今の生活も、現在を充実させることの中に、生きる間口を広げることがあります。


音が途絶え外界が雪で閉ざされた場所での独り生活が、危険だと考えたことがありました。
東北では自殺者が多いという情報を、それ単体で真に受けていたのだと思います。
いっぽう、人の多い都会なら寂しくないし、いざとなれば近くに頼れる人がいる。
…今はその当時(おそらく神奈川で働いていた頃)と、まったく逆の印象を持っています。

寂しいかどうか、孤独かどうかは、僕にとっては大して重要ではない。
いや、これは一般化できるとすら思います。
重要なのは、自分の身体の息づきへの感度を保っていられること。
何の重要性かといえば、「生きる意欲」にとって、です。


「人は他人のためならば生きられる」とは、僕もそう思います。
けれどもしかして、この源には「身体性」があるのではないでしょうか?
他者とじかに接して他者の身体の息づきを感じ、自らの身体がこれに応じて活性化する。
人の顔が見えないシステム化された会社では、他者は脳的にしか把握できない。

今の生活が「生きる間口を広げる」とは、こういう意味においてです。
何度も書いたことですが、正直に言って僕は、やりたいことがあるわけではありません。
(「君、図書館で働きたいと別に思ってないよな?」と、上述の慧眼I氏は見抜いていました)
やりたいことではなく、「こうありたい」という状態の志向がある。


今、これに別の表現を与えることができます。
生活(仕事)の充実とは、「生きたい」と思ってそれを営んでいくことです。
高度にシステム化された集団社会では、"時に"逆説的な事態が発生します。
意志として「生きたい」と思わない方が、現実として「生きて」いきやすい。

この逆説的事態は、もはや"時々"ではなく、"必然的に"起こると考えていいと思います。
多くの人が結集して丹念に作り上げたシステムは、その内部の人間に複雑な手間を要求しない。
生きること自体が手間のかかる無駄な営為だという根本的な認識に立てば、道理です。
それゆえ、システムの外に立つか、その内側でシステムとは別の「生の原理」を立ち上げる。


あるいは、上記の別の表現を、問いの形にすることもできます。
「どうすれば『生きる意欲』をもって生活していくことができるか?」
正確にいうと、より抽象的になりますが、こうなります。
「仕事の種類によらず、"それ"を実現するにはどうすればよいか?」

もし、この問いになんらかの答えが見出せたならば、それは僕だけの問題ではなくなります。
もとい、それは僕だけの「答え」ではなくなります。
そういう、「遠大な野望」があっても、いいと思うのです。
これもひとつの、「個が普遍につながる」形ではないかと思うのです。


これまでの「ゆくくる」ではやりませんでしたが、本の引用で締めたいと思います。
数ヶ月前から、橋本治の時評本『ああでもなくこうでもなく』シリーズを読み返しています。
院生時に精読して救われると同時に蒙を啓かれたこの6冊には、大量に傍線が引いてあります。
その、ちょうど最近読み返した部分と本記事の結末がシンクロしたのは、きっと偶然ではない。

「私が今年の初めに「算数が出来ない小学生のための算数の本」を書こうと思ったのは、正しく、「世界情勢なんかより、"自分は算数が出来ない"と思って、自分の誇りを埋もれさせてしまう人間を救うことの方が大切だ」と思ったからで、なんでそんなことを考えるのかと言えば、私が根本で、「世界情勢は結局のところ個々の人間が作るもので、それをへんな風に歪めないためには、個々の人間が誇りを埋もれさせないことが一番だ」と思っているからである。私はそういう風に、時代状況を一個人にシンクロさせてしまう
 そうでなければ意味はないし、またそれ以外に、私のような専門知識を持たない人間が世界に立ち向かう術もない。
「183 世界を作るのは、やっぱり、一人一人の人間である」p.242-243

 私は別に、シラタキが病気になったから、それで自分の原稿に個人的なメッセージを込めていたわけではない。それを言うなら、個人的なメッセージは、初めからある。あって当然だというのは、この原稿を受け取るのがシラタキで、この原稿を最初に読むのもシラタキだったからだ。(…)
 「あなたは、編集者としてこれを読むことによって、読者という公的な存在になる」──それが、書き手から編集者へ送られる私的なメッセージであると、私は信じている。
 だから、編集者は「一読者」になってはいけない。「読者であることを代表する最初の読者」にならなければいけない。その前提を捨ててしまったら、「読者へ送る」が、ただのトンネル仕事になってしまう。
 一個人は、同時にまた一公人である──これは、義務であり、権利である。この二重性がなかったら、「国民一人一人が国家のあり方を考える」ということは成り立たない。「個としての深み」は、「公としての広がり」とシンクロしていなければいけない。それであればこそ、「一人のあり方」は時代状況とシンクロしうるのだと、私は思う
「187 読者と書き手と編集者」p.254-255

「第四巻の第十四回 世界の中の一人(2003年6月・7月)」(橋本治『ああでもなくこうでもなく4 戦争のある世界』マドラ出版)

なんとか今年中に書き終えることができました。

どうぞ、よいお年を。
そして、来年もどうぞ宜しくお願いします。 23:45

chee-choff

*1:1/1追記:紹介にちょうどよい写真があるのを忘れていました。物珍しさか道中で散々写真を撮られたので、いくつかはネットに上がるだろうと思っていたのを思い出し9月末に検索して、3つほど見つけていました。これはその中の一枚。遍路道の終盤、香川県は84番屋島寺のある山頂へ続く参道にて。急傾斜に加えてつるつるの石畳の道だったので歯底が滑って大変でした。出典はこちら(元ページが見られなくなっていたので検索結果ですが)。
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コンポステーラの記憶、歩く必然

四国遍路の回想記↓は、序盤の山場手前で長らく更新が途絶えています。
司書講習が始まる前の、時間を少々持て余していた時期に書き始めたものです。
社会的立場は今もその時と変わりませんが、今はなかなかその時間が現れてきません。
大沢温泉(値段の安い自炊部)に連泊して、集中的に書く気がないでもありません。

とにかく遍路の話は、まずは回想記に書こうと思っていました、が。

cheechoff.hatenadiary.jp

序盤の山場とは3日目の12番焼山寺の山越えのことです。
急勾配の山を越え、下りは長々と緩く、5日目は平地でお寺が密集した所を歩きます。
その後、たしか6、7日目だったか、「第二の山場」の麓まで進みます。
アップダウンの激しい2つの山と、それぞれの高所にある2つのお寺。

いろいろ名前を忘れていますが、その第二の山場の麓にある民宿での話です。


公式*1その民宿のほかに麓に宿がなく、僕が泊まった日は多くの宿泊客がいました。
夕方前に宿に着いて、早めのお風呂に入った時も、遍路が数人いました。
その中の一人、旅の年季の入った風体の男性から、湯船に浸かる間に少々話しました。
話したというより一方的に聞いていたのですが、淀みない口調も旅慣れたものでした。

ヨーロッパの巡礼で有名なのが、たしかスペインの「なんたらコンポステーラ*2」への巡礼。
男性は過去にその巡礼を行ったらしく、四国遍路との違いを説明してくれました。
国をまたがる数千キロの道のり、多国籍の巡礼者、巡礼然とした道と宿場街。
安く簡素な宿、街で素材を調達しての自炊、あって有り難い冷シャワー。

今追って想像するに、巡礼者の年齢層も、四国遍路とは違うのでしょう。
定年を過ぎた年配より、前途を見はるかす若者の方が多いに違いない。
歩く理由も、それに応じて違ってくるでしょう。
具体的に想像はつきませんが、「歩く理由の多様さ」という点において。

 × × ×

そんな大した記憶ではありませんが、今日ふとこのことを思い出しました。
例のごとく読中長編『特性のない男』の、ウルリヒの特性の描写にあたって。
そして自分の海外への興味について、新たな視点を得ました。
大陸へ行く必然は、定住ではなく巡礼にあるのかもしれない、と。


僕はビザを取ったことがなく、つまり日本を離れたことがありません。
外国への興味はつねにあって、そしてその内実は日本を外から見ることにある。
きっと自分はかなり日本的で、日本的な性質が好きで、しかし同時に嫌いでもある。
嫌いなのは、おそらく日本人の集団特有の、多数派的な諸々の性質。

そういった好きも嫌いも、日本で暮らし続けて感得するに至ったものです。
このことに良いも悪いもありませんが、この認識は固定化される運命にある。
いくら分析し掘り下げても、日本にいる限りは「身体丸ごとの視点」は変わらない。
その内容がどうあれ、自分のなにかが固定化されることは、好ましくない。

これが日本を外から見ることの動機で、しかしこれは単なる旅行では達成されない。
行きそして「戻ってくる」ことを前提とした旅行は、軸足を母国に残したままとなる。
そう考えると、自分の思想の基盤を揺るがす変化は、外国に住むことでしか起こり得ない。
異文化の異質に触れ、それが自分の身ぶりに決定的に影響するような状況としての定住。


と、こういった考えは今言葉にしてみて、そのまま持ち続けていることを知りました。
考えの中で想定した状況に至る必然の「ひ」の字もないことも含めて、そのまま。
この必然ということを考えた時に、巡礼と結びついたのは、それが「歩くこと」だからです。
歩くのが好きな僕は、どういう事情で歩くことになっても、難なくそれを受け入れてきました。

 それがどれだけ常識外れで、無意味で、徒労で、そして過酷であっても。

ここまで書けば、あとは簡単。
「認識の固定化」を打破する必然に、どうすれば自分は導かれるのか?
…歩けばいい。
大陸の「とある地点」に降り立ち、そこから歩き始めるだけでいい。

これも前↓と同じく、今の生活が許す奔放な想像の一例ではありますが。
cheechoff.hatenadiary.jp

 × × ×

彼は、むかし旅の途中で汽車を降りてしまい、目的地に行かなかったことがあったなと、このときなんとなく思い出していた。なぜそうなったかといえば、やり手ばばあのようにいわくありげに、あたりの風景からヴェールを剝ぎとる澄みきった日が、彼を駅から散歩に誘い出した。そして日が暮れたころには彼は見捨てられて、荷物をもたずに何マイルも離れた村に置きざりになっていたからである。とにかく彼は、自分でもわからなくなるほど長時間外を歩いて、そしてけっして同じ道を戻らないという特性を、自分がつねにもっていたということを、いま思い出していた。

「第23章 ボーナデーア、あるいは病気のぶりかえし」p.158 (ムージル『特性のない男Ⅳ』)

*1:知る人ぞ知る、あの「黄色い地図」のこと。

*2:書き上げてから一応調べました。正式名称はこれのようです。 サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路 - Wikipedia

ありもの「野菜だし」、変化し続けること

半年ほど前に岩手に引っ越す直前、京都府立図書館の向かいの蔦屋書店でいくつか料理本を買いました。
その当時に自分が想像する食生活のベースになるだろうと思って、野菜スープ本、サラダ教本、玄米レシピ本の三冊を選びました。
そのうちの一冊↓は、今も料理する時に参照し続けています。

スープの出汁に、調理時に出た野菜の切れ端を利用するのがこの本の基本思想です。
ある程度切れ端がたまったら、昆布と料理酒を足して煮込むだけ。
できた出汁は冷凍保存します。
本では出汁を使ったスープのレシピが載っていますが、出汁でご飯を炊いてもいいし、僕がここ最近頻繁に作るようになったカレーに出汁を加えてもいい。

出汁を足して味がドラスティックに変わるわけではありませんが、料理のメイン素材の味をしっかり支えてくれます。
出汁で炊いた米(いつからか僕は玄米です)は、それだけで食べるとなんの変哲もないのですが、おかず(=スープ)と一緒に食べた時に、予想だにしない旨みが引き出されます。
素材が薄味なほどその化学反応が劇的になる点は、スープのレシピは洋風が多いものの、野菜だし自体は和食の思想をもつと言えます。


最近の話ですが、カレーを作り始めてから「食べたい野菜をとにかく放り込む」ようになり、使う野菜が増えました。
「食べたい野菜」というのは正確には、スーパーで買おうと思って手に取った野菜で、それには食べたいという意欲のほかに、安くて多い(それは旬の野菜であることが多い)、新鮮である、地場産である、などの理由が付随しています。
カレーは最初に作る時に素材が完結するわけではなく、残りを使い回す間に足したり、焼き野菜にして別途の具にしたりするので、主に単品野菜でつくる野菜スープより断然多種の野菜を使うことになります。

そのような背景で今日野菜だしを作った時に、今までより野菜の顔ぶれが一段と豪華だと思って、せっかくなので数えてみようと思い立ったのが本記事の発端です。
ついでに今までの野菜だしも載せようと思って(特に理由なく、岩手に来てから調理にまつわる写真を撮りためていました)、整理していたら今日作った出汁がちょうど10回目でした。
今年最後の出汁が節目で、充実もしていて、一年を区切りとしての有終の美となりました。

まずは9回目までの写真をまとめた一枚を載せます。
これはphotoscapeというソフトに写真をまとめて放り込めばちゃっちゃと作れます。
便利なものですね。

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そして10回目の野菜だしと、その詳細です。
写真は材料投入時と、煮込んだ後のもの。
材料を列挙すると豪勢に見えますが、これらは普段の調理屑をタッパーで保存していたものの蓄積で、こういうものを作ろうとしたのではなく、まさに「ありもの」の結果です。

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 <材料>
  ・玉ねぎ(の皮と、根)
  ・長ネギ(の根)
  ・ほうれん草(の根)
  ・ピーマン(のヘタと、内綿というのか種がついた部分)
  ・オクラ(のヘタと、先端)
  ・にんじん(の皮と、根の付け根)
  ・かぶ(の根の付け根)
  ・大根(の根の付け根)
  ・さといも(の皮)
  ・じゃがいも(の皮)
  ・ヤーコン(の皮)
  ・まいたけ(の石突き)
  ・エリンギ(の石突き)
  ・えのきだけ(の石突き)
  ・しょうが(の皮)
  (+ベースのだし用昆布と、どぶろく

そういえば「野菜だし生活」を始めた頃の記事↓には、「生ゴミ入れは今のところ必要ない」と書きました。
調理で出る生ゴミがほとんど野菜だしに利用されるためにタッパー保存されるからで、結局現在もシンクに生ゴミ入れはありません。
利用できない生ゴミで日常的に出るのは、卵の殻とバナナの皮だけです。
cheechoff.hatenadiary.jp

 × × ×

野菜屑を捨てるのは、残飯処理と同じ質の疾しさがあります。

人が集団で食事をする効率化された場所ではどちらも当たり前に行われていることで、例えば食事処の調理場などがそうですが、その当たり前を個人の生活にも適用してよいのかどうかは、一考の価値があります。
これは、環境問題とか、資源の有効活用とか、そういった大枠の話とは、関わるにせよ本質的に別問題です(この一文から、環境問題のグラスルーツ的解決のカギがこの「別問題」からのアプローチにあることが想像できます)。

僕がここで書いた「疾しさ」の原点は、食膳に供されたものは残してはならないというしつけよりも(もちろんこれがそのまたベースにあるのでしょうが)、ホテルのバイトをしていた時に立食パーティの残飯を無慈悲にゴミ袋に流し込んだ経験にあります。
もったいないからと捨てる前につまみ食いをする先輩がいましたが、そういった個人もとい数人が対応(=資源を有効活用)するには遥かに大量の料理が、その生殺与奪の権を与えられた自分の目前に広がっていたのです。
その場所、つまりパーティを終えたホテルの一広間も「効率化された場所」で、僕自身も料理人と同じ立場で割り切るのが職業柄というものですが、結局ひと月もたずにそのバイトを辞めた入学したての大学生であった僕は、涙を押し隠して、ただ「これは間違っている」と思いました。

その思いを十年変わらず抱き続けて今のような生活をするに至ったと考えると、
なんというか、面白いなと思います。
がらりと変わる多くのものごとの根元に、あるいはその片隅に、
ちょっとした変わらぬものがひっそりと息づいている、というような。

「変化し続けたい」という意志があって、
「変わらぬもの」がその変化を陰ながら支えてくれると思えば、
安心して変化し続けられるのかもしれません。