human in book bouquet

読書を通じて「身体へ向かう思考」を展開していきます。

ぶち猫の篠笛袋

をありものでつくりました。

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布地は50×50の手ぬぐい(デスクワークをやっていた時にディスプレイをかさ上げする台として数冊の本をくるむために買ったもの)、紐は(たぶん)無印良品で買ったタオル的なものをくるんでいたもの。

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篠笛は竹で穴が等間隔にあいているものです(つまり未調律)。
ピッチは謎ですが音色がステキで、和風にぴろぴろやるには心地良いです。

笛は猫袋に入れて旅に持って行くつもりです。

小島氏短編とT-Gen氏 @図書館

昨日『白衣の女』(ウィルキー・コリンズ)を読了したので、今日府立図書館へ行ってきました。

返すついでに借りたのは小島信夫氏の短篇集成1と『「あの戦争」から「この戦争」へ』(高橋源一郎)。
タカハシ氏の本は偶然見つけ、目次を読むとまさに今借りようとしていた「小島信夫」の文字が見え、最初から2節分くらい読んで、借りることにしました。

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ゲートをくぐったそばの新刊コーナのような所に、池澤夏樹氏が…なんだったかな、「編集統括」だったか忘れましたが、現代語訳日本古典文学全集なるもの(の1巻)が置いてありました。
置いてあったのは古川日出男氏訳の「平家物語」で、末尾にあった全集一覧には、訳者として池澤夏樹氏(『古事記』→そういえば手元にある『ぼおるぺん古事記』(こうの史代)をまだ読んでいませんね)、内田樹氏(『徒然草』←「こういう生活したいなあ」と思いながら訳されたのではないでしょうか)、森見登美彦氏(『竹取物語』←「モリミ・バンブー・カンパニー」代表取締役のモリミー氏にうってつけですね)、いとうせいこう氏(何か忘れましたが二作品)などがありました。

全30巻だそうです。

重しと休憩と「ナンバ歩きの方向転換」のこと

本ブログのタイトルを若干変更しました。
意味不明ですが気にしないで下さい。
正直になった証を立てました。

 × × ×

88回行けば…ということを少し考えていたんですが、一本歯ウォークデイを数えるのはやめました。
毎回書く必要が、最初の頃はあると思っていて実際あったんですが、最近はなくなってきたので。
今日はちょこちょこ書くべきことがあるので書きます。

 × × ×

今日から「重し」を担いで歩くことを始めました。
高校の登山部ではリュックに砂袋を詰めて階段を上り下りするトレーニングをしていましたが、あれと一緒です。
歩き旅では(チャリ旅はぜんぶ自転車に積めたんですが)全ての荷物を背負うことになるので、それを想定して少しずつ重しを重くしていきます。
重しとしてはおあつらえむきな洋書の写真集(前にBookoffのワゴンセールで買いました)が4冊分あって、今日はその1冊と、あと現時点で溜まっている5円玉が入ったメガネケース(特に意味はなく、いろいろ丁度良い入れ物だったので使っている)をリュックに詰めました。
五円玉は現時点で写真集1冊より少し重いくらいの量です。
もちろんまだまだ増えます。

で、重し入りリュックは肩にはさほど負担はないと感じたんですが、一本歯で歩き始めてみると足首への負担が意外なほど大きかったです。
ただその負担も行程後半には慣れてきたし、ポジティブな面としては踏み込みブレが少なくなったようでした。


その足首への負担増からか、高野川河川敷の上り下りの途中で初めて座って休憩をとることにしたんですが、ほんの数分じっとしていただけでふくらはぎの疲労が見違えるようにとれました。
休憩って大事ですね…登山部で散々経験したはずで(山ではちゃんと時間を計って1時間ごとに5分か10分の休憩をとっていました)、忘れていたわけでもないのですが、なぜかこのことをうっちゃっていました。

昔と考え方を変えたからかもしれませんが、ある方面においてとても頭が悪くなっている(あるいは結果としてそうなっているように見える)気がしてなりません。
もちろん、それでいいからそうしているのですが。

というわけで今でも旅でも休憩はこまめにとろうと思います。
高野川河川敷の行程は全体で1時間ちょいで、その終盤で休憩をとりたくなったので、登山部の時と同じく「1時間に1回」が妥当なところですかね。

 × × ×

ところで、今日唐突に、一本歯で(ベランダを)歩いていると「ナンバ歩きの方向転換」の感覚がつかめました。
甲野善紀氏が道場でするすると歩く動画(↓の0:20〜0:50くらいの場面)を前に見た時に真似をしようとして、方向転換の仕方がどうしてもわからなかったんですが、今朝突然わかりました。

www.youtube.com

氏の動きを見ているとほんとに「するする」と表現するしかないように滑らかに回転しながら曲がっています。
一本歯でこの「するする」の感覚がわかったということは、足のある部分の動き(まず間違いなく「ひねり動作」でしょう。「ばね動作」かもしれませんが)を制限することで実現されているということです。

この感覚が一本歯歩行に活かせるかどうかはこれから試行錯誤して考えます。
(動画みたいに手をふとももに沿えてやると「するする」感がもっと出て楽しいです。一本歯でふつうに歩く時にこれをやると疲れるなと今日やってみて思いましたが、それ以外に何かあるかもしれません)

自分の芝で

ちょっと正気に戻りました。

「考えたくないこと」と昨日書いて気にかかっていました。
主観的に言えばそれで間違いはないんですが、ちょっと離れて見ればそれは「考えを強いられること」です。
強いられる、という言葉は強いですが、何事も縁として見る自分にはそう思えます。
そしてその自分のスタンス上、強いられる原因の半分は外部にあるとはいえ、もう半分は自分のせいです。
とはいえ、外から無闇に情報を取り入れる必要は元々なく、自分のスタンスを貫くうえでもそれは衛生上よいことです*1


また、これも昨日書いた「書く姿勢が変わってきた」、「書く目的は書きながら考える」ということも、自分で妙だと思いながら書いたわけですが、それは当たっているのです。
書くことを前提に考えればそうなります。

それで、ちょっとこの前提を外してみようと今朝思いました。
もともとブログを(本気になって)書き始めたきっかけは「過去の自分がなにを考えていたかが全く思い出せずに愕然としたこと」でした。
つまりもともとは記録としての機能をブログに担わせていたのでした。
それから、書きながら考える=書いてこそ生まれる考えがあるという書き方に発展していき、記録以上のものを見出すようになりました。
その記録以上のものを生み出す原動力が自分の分析的思考にある、ということを今朝認識したのです。
もちろん分析的思考を創造的に機能させるうえで連想が欠かせず、連想は自分にとってとても重要な脳内活動で、ふつうの人が思うように「日常生活に支障を来さないために常識的な範囲で制限する」ことをしない努力をしてきました。

その連想を…いや、分析的思考と簡単に切り離せるものではない気もしますが、だから連想の自由度も影響を受けるとは思いますが、言いたかったことは、分析的思考をせずしてブログに書くことは特にないということです。


そしてこれは興味の話ですが、書くことで客観化して生活の秩序を保ってきた面が働いていた頃にせよ今にせよあって、これも一度外してみようと。
「今だからできること」をいろいろやっている中のこれも一つになるのですが、最近さわりを読んだ『村上春樹河合隼雄に会いにいく』に、(社会に対する)デタッチメントとコミットメントの話があって、村上氏の初期の小説はデタッチメントを基調として書かれていて、氏が外国に何年も住むようになってから氏自身の中で考え方が変わってきて、次第にコミットメントについて考えるようになった、といったことが書かれています。
自分は「来る者拒まず」と思うことがコミットメントだと思ってきた節があって、でも「去る者追わず」がその後に付くことで、そして結局は自分から関わる意志がないことでこれはデタッチメントなのだ、と上の本を読んでしばらくして気付きました。

なにが言いたいかというと、自分が自覚していなかったデタッチメントという心情を、自覚して生活してみるとどうなるだろうかと。
外に表れる振る舞いを変えるわけではなく、自分の中の意識が変わる。
その意識が変わることが振る舞いを変えることはあるかもしれない。


たぶん、他人の芝として憧れて見ていたものを、いざその他人の家に住んで庭でぶらぶらしながらもまだ他人の芝として憧れて続けていた、ということだと思います。

「今だからできること」とは、想像の基点を自分の芝に置くことです。

*1:これに関連してfacebookのアカウントを停止しました。完全削除はしていないので、また再開することもあるかと思います。

分析的でない文章、花見の第二十八歩

今日は三食の内容も含めて昨日と同じ、判を押したような日でした。
こういうことになりそうな時は敢えてちょっと違ったことをしてみるのが常でしたが、やってみるとこれはこれで悪くない。

自分がなにを考えているか、というよりはなにを考えたくないかが行動を通してうかがい知れる。


どうも最近は「分析的思考」をあまり好まないようです。
今までさんざんやってきた反動でしょうか。

…分析的でない文章というのは、昔文章を書くのが苦手だったのを苦にせずまず習得したのが分析的な文章ということで、たぶん不得手なのです。
嫌いではなくて(そういう文章を読むのは好きなので)、不得手というのは、自分が書きたいことを書いていて見えてこない(分析的思考に基づいて論理を進めればそれは自ずと導かれることが多い)ことで、それはあるいは書く達成感がないということかもしれません。

書かないと見えてこないわけではない。
書いてみると「あ、そうなんだ」と思い、それでおしまい。
こういう文章は、今まで僕が書いてきたのとは目的が違うのでしょうね。

その目的を書きながら探すのも妙なものですが…

 × × ×

話を戻しまして、昨日に引き続いて今日もナイトウォークへ行ってきました。

脚絆のせいでもないと思いますが、最近また寒くないですね。
秋の服装で出掛けて途中で汗ばむくらいで、帰ってきたら下駄の台も所々が汗で湿っています。
足裏に汗をかくとすべるので台と足裏とが擦れやすくなって、親指の皮がまた剥がれてきそうです。
左足は一度べろりと剥がれて、ようやく再生しそうだというところなんですが。
冬でこれなんだから、春の日中に歩くと大変そうですね。
足裏の保護はやりようがなさそうなので(絆創膏を貼るだけでも下駄の装着具合がかなり変わってしまう。足袋も少し試しましたがやはり脱げやすくなりそうです)、皮剥け等は我慢ですかね。

そうだ、高野川の下り(東岸)は歩道の上に木が枝を伸ばしていて、落葉樹らしく今は寒々とした枝だけなんですが、そういった木々と白い光の街灯というのはなにかよい相性をもっていて、今日はなぜか木々に桜が咲いているような想像をしました(あの木々は桜なのだろうか?)。
涼しめの静かな夜に桜が見られればいいだろうなと思ったのでしょうか。

宇宙刑事の第二十七歩

cheechoff.hatenadiary.jp

前の記事↑の最後に書いた予告通り、高野川を一本歯で歩いてきました。
予告するつもりで書いたのではなく、何げなく書いていて予告しようと思い立ったからなんですが、書くとやはり有言実行で勢いがつきますね。

さて、漢字二字のルールを破っての派手なタイトルですが、予告を読まれた方はもう分かっているとは思いますが、つまりは

 宇宙刑事ギャバン(脚絆)

と言いたかっただけ。(ぎゃふん)


で、脚絆をつけて歩いてみた感想ですが、まずそんなに邪魔というか動きが制限される感じは受けませんでした。
ハーフパンツ型でズボンの上からつけるレインウェアがあるんですが、小雨の天気で歩く時や寒い時に重宝してけっこう使うんですが、前に一本歯でこのレインウェアを使った時に股があまり開かない感じ(つまり「歩幅が狭くなる感じ」)が明らかにあって、それと比べると脚絆の自由度はかなり高いと思います。

そうだ、サイズはなかなか丁度良い感じでした。
メジャーで測ってこれ↓の「大」を買ったのですが、1つのコハゼを留める2ヶ所のうち全部をきつくなる方に留めて、両足とも「緩まないが締まり過ぎない」程度にフィットしました。
ズボンの上からでなく直接ふくらはぎに付けているので、コハゼを緩い方に留めればズボンの上からでも付けられるだろうし、今後ふくらはぎが太くなっても調整が可能なので長く使えそうな気がします。
www.hantenya.com

動きが制限される感じはあまりないと書いたところですが、瞬発的な動きが少し鈍くなるかもとは思いました。
歩くだけなら全然構わないのですが。

あとは膝を大きく曲げる時に抵抗になるので、屈伸がやりにくくなります。
これはこれでしょうがないですが、足の体操の中で屈伸が好きな僕にとっては(好き嫌いあるんですよ、体操にも)大きいことだと思わないでもなくて、いやそう思おうとしたけどそうでもないと思い直したのは、そもそも歩行において「膝を曲げ切る」ような動作がないからですね。
学校の体育ならそういう場面がたくさんあったでしょうが(あったかな…今考えて思いつきませんが)、身体を動かす前の体操として「実際に身体を動かす時よりも過剰な負荷」をかける必要性がどこまであるのかをもののついでに今日考えることになったのでした。
伸脚の深いバージョンとか、ランニング前によくやっていましたが、あれもどうなのかなと今さらながらに…。

まあそれはいいのですが、なんとなく脚絆をつけていると安心感があります。
「長時間歩行における疲労を和らげる」と頭で思っているからかもしれませんが、安心感に加えて、実際に歩行の安定感も増しているような気もします。
1時間かそこらでは疲労云々までは言えませんが。

しばらくは装着しながら歩いてみます。
一日中歩く時もつけてみましょう。

ものういゆうぐれ

膝の調子は相変わらずです。

膝の裏の、膝とふくらはぎの境界あたり(これはふくらはぎなのか?)が、ちょっとした時にぴしっと来ます。
前も書きましたが、歩けるんですが本調子でないという気分は影響が大きくて、一日中歩こうという気にはなれずまた夜前に川沿いを歩くのも躊躇われます(今日は行こうと思っているのですが、さて)。
寝て起きれば治ると思っていましたが時間経過にあまり頓着しないようで、無理する気はないんですがずっと引き蘢っているのも(膝以外の?)身体に悪い。

歩き主体の生活から歩きが奪われるとやはりどうしても気持ちが後ろ向きになってしまいます。
読みたい本があるのでひたすら読むんですが、やり過ぎると背中が痛む(ちょっと前から起床時にずきずきするようになりました。だから背中の痛みのおかげで寝過ぎは防げるという)のでうーんどうしようと思い、少し前から背筋をやることにしまして、これはちょっと効果がある気がしています。


いつの間にやら年末ですが、(会社にいた時も大体そうでしたが)年末年始も特に変わったことはせず淡々と過ごすつもりです。
地元に戻ってきたので会いたい人に会いに行くかもしれませんが、あまり騒がしいところには出向かないと思います。

正月のおおらかなにぎやかさは好きなんですが(年の変わり目に石清水八幡宮に行くたびにそう思います)、それ以外は全部うるさいなどと思ってしまうと社会で何もできませんね。
今はそういう時期だというだけかもしれません。
あるいはもともと自分はこういう人間だったのかもしれません。
遍路へ旅立てばなにがしかヒントが得られることでしょう。

左手首も相変わらず原因不明で痛いですが…そういうものだと受け入れつつ実験的に対処していきましょう。
そうだ、脚絆が昨日届いたので早速使ってみようと思います。
手甲はなんとかなりましたが、サイズは大丈夫かな…?

浮きめクロールと手甲装着開始

昨日の夜にプールに行って、平泳ぎで膝を痛めました。
普通に歩くのに問題はありませんが(ということを今日MKボウルまで行って確認できました)、段差のある所で少々痛みます。
引き続き静養した方がよいようです。
出歩くのも図書館くらいに…

そうだ、プールはクロールで進展というか変化が最近ありました。
手を掻く時間間隔をこれまでわりと長くとっていて、それは一掻きで進む距離を伸ばすためである程度その通りであったのですが、最近「身体が沈まないように泳ごう」と意識し始めて、すなわちなるべく水面に近い高さを保って泳ぐということですが、そうなると必然的に一掻きごとの間隔は短くなるのですが(バタ足は身体を沈ませない程度で、身体を浮かせるほどには機能していません。何せ腕一掻きに対して1or2バタなので)、そうやって早く(速く、ではありません。掻くスピードは意識の上では変わらない)掻いても25mを泳ぐストローク数にほとんど差がない時があるのでした。
それはつまり泳ぐスピードとして速くなっているということで、まあ少しは嬉しいです。

早く掻きつつ波に乗れる(掻く動作の進行に関わらない成分を減らす)ようになればブレイクスルーになりそうな気がします。

 × × ×

さて、今日は加茂川沿いを2時間ほど歩いたんですが、早速今朝届いた手甲をつけて出掛けました。

手甲と脚絆(脚絆はもうすぐ届きます)を試すに至る経緯は一つ前の記事に書きましたが、プロテクターとかではなくこれらの装身具を選んだ直接のきっかけは以下の記事を読んだからです。

第156回「手甲(てっこう)と脚絆(きゃはん)」 | 香杏舎銀座クリニック

手甲も脚絆も、直接手首・足首に巻くわけではないが、それぞれ回転のための二本の骨を締め付けることで骨頭の位置にあたる手首・足首の不都合(バランスの崩れ)を抑制できる、という仮説であると読みました。
自分の左手首の痛みの原因がこれかどうかは分かりませんがそうだとすれば儲け物で、目下のその問題とは別に歩行における疲労軽減になればこれは大変ありがたい。
特に効果を急いで得たいわけでもないので、日々歩く中で付けたり外したりして効果があるかを身体で確かめてみたいと思います。

で、話を戻して今日は手甲をつけて歩いたのですが、腕をねじる動きに対して手甲の締め付けが抵抗となっているとまず感じました。
それから「いちばん"抵抗"を感じない手首の角度が『負担が少ない』ということではないか」と思ったんですが、これは今日歩いた限りではよくわかりませんでした。
この"抵抗"の要因はたぶんいくつかあって、自分が今知りたい「2本の骨の絡み具合」(?)とは別に「手甲と腕の皮膚表面で擦れることによる抵抗」が働いていて、自分が感じているのは後者ではないかと歩きながら思っていました。
今これを書きながら左腕だけ手甲をはめていて、ゆったり座りながら左腕をひねってみると前者の抵抗もわかる気がしないでもないですが、まあやっぱりよくわかりません。

今日歩いた後の左手首の状態は、素直にどちらかといえば、悪化したような気がします。
そして手首の小指側が痛いことに今日気づきました(いや気づいたのではなく悪化した結果かもしれませんが)。
左手首に関してはプロテクターの使用も検討しつつ(幸い近所の薬局で見つけてはいます)、もう少し様子見をしてみます。
(手首が冷えるのが良くない気もしますが、これは今の季節どうしようもありません。意固地にまだ手袋を使っていませんが、使った方がよいかしら)

あと、手甲の効果として和歩の歩き方にも変化を与えるのではないかと考えています。
これも今日歩いただけでは未知数ですが、手甲をつけた方が歩行における「手(腕)の存在感」が増すのは確かで、歩行に対して全身を導入するという方針にプラスにはたらく可能性があります。
また手甲によって手首や腕をひねらない歩き方になるとすれば(換言すると今までの歩き方が無意識のうちに手首や腕のひねりを何らかの形で利用したものであったのならば)、手甲をはめることによる歩き方の変化は必然となります。
これと同じことは脚絆にも言える気がしていて、これらの使用の有無で手足の疲労だけでなく歩き方がどう変わるかもじっくり観察したいです。

この歩き方の変化が靴で歩く時より一本歯で歩く時の方が大きいかもしれない、という予感もあります。

万霊の第二十六歩

おととい、昨日とゆっくりして、今日は久しぶりに一本歯で高野川を歩いてきました。

まだ疲労が残っていましたが(足首の痛みというかしこりというか滑らかでない感じが気持ちよくなかったですね)、歩くうちに慣れていきました。
歩き方についても、やはり普段靴で歩いているので一本歯用の身体運用にシフトチェンジするまでに時間がかかります。
この感じは回数を重ねても同じようにつきまとっていて、歩き始めのぎこちなさが旅への不安をかき立てるのですが、後半になって慣れてくると「うん、これならいける」とポジティブに切り替わるのも毎度のことです。

そのことに関係するのですが、3日前に雲ヶ畑へ行った時(1つ前の記事)に痛感した長時間歩行の大変さについて、一日に歩く量をちゃんと計画を立てて決めるほかに、装身具でなんとかしてみようという気になり、さっそく今日手甲と脚絆を注文してみました。
自分でメジャーで測ってネット注文するのはサイズが合うかが気になりますが、ダメならダメでまた店に行くと思います。
一度は遍路用品店に行くはずなので(ちょっと調べると枚方にあるらしい)、必要ならそこで試着をしてみましょう。

そういえば最近なぜか左手首が痛くて、原因不明ながら前にも同じことがあった気もして、前は腱鞘炎だった気がするんですが、今回はそんなになるほど手首を使っていないので不思議です*1
寝起き時に特に痛いとか、冷えると痛いとか、風呂に入るとマシになるとか、手がかりはいくつかあるんですがよくわかりません。
手甲が手首の安定によいらしいので、歩く時だけでなく日常生活でも使ってみて効果をみようと思います。


そうだ、面白いと思ったのは今日歩きながら「下駄にもその時々の気分がある」という感覚を持ったことでした。
下駄の気分が良ければ力を抜いても足がぶれずにすいすい歩けるし、なぜだか意固地になってそっぽを向かれるといくらこちらで制御しようとしてもうまくいかずに身体がぐらぐらしてしまう。
もちろん自分の身体や精神の状態が下駄の操法に影響を与えているという見方が科学的ですが、自分次第の部分がある一方で「下駄次第」の部分もあると考えてみると、それはそれで面白いです。

四国遍路で「同行二人」とは杖をお大師さんと見立ててのことだと言います。
僕はたぶん杖は持って行かないと思いますが*2、下駄と一緒に歩いて「同行二人」でもいいのでは、とふと思いました。
もちろん下駄をお大師さんに見立てるわけではなく、まあ友人くらいの関係でしょうか。
比喩でなく、いや比喩でもよいのですが、同行の友人と気楽に喋りながら歩ければ乙なことだし、互いに黙り込んで(でも機嫌が悪いわけでもなく)淡々と歩調を合わせるのもまたよし。

あまり意識しすぎずに、ときどき聞き耳を立ててみようと思います。


タイトルですが、『禅堂生活』(鈴木大拙)の以下抜粋する文中から借りました。

仏教者の中には、針供養*3とか筆供養とか鰻供養とか云うことを行う人々がある。如何にも仏教的世界観の発露の一面であると思う。鰻や鰌[どじょう]は生き物であって、それを殺して人間の食餌にするのであるから、その霊に供養して人間的報恩底を尽すとも云える。が、針や筆の如き非情物の供養には如何ような意味を附すべきであろうか。これはやはり何れも「三界万霊」の中へ含めておいてよいと信ずる。筆も針も紙もペンも石燈籠も朝顔も皆その中にそれぞれ恰好の場処を見出し得るものと考えてよい。筆や燈籠は人間の自作で、朝顔や鰻は自然の生物だと云う区別は、畢竟は人間的・知性的分別上の事件でしかない。

第五章 祈願と報謝 p.136

*1:歩く時に「足だけなく全身を使う」を意識しているので変に力がかかっている可能性もありますが…鷹取の手とか親指を人差し指の付け根に沿わせて畳むとかすると腕を緊張させることができるんですが、たしかに手首の自由度が制限されている気もします。

*2:道中でどうしようもない難所があれば一本歯を脱いで代わりに履ける何か(草履とか?)を持って行こうとは思っています。ふつうの道であれば一本歯に対する杖はあまり役に立たない気がします。

*3:そういえば前に宝ケ池から鞍馬へ歩く途中にあった幡枝八幡宮には針供養の神社がありました。

二ノ瀬〜雲ヶ畑

昨日はへとへとだったので帰って風呂をはって浸かり、夕食を作って食べると体力気力共に底をついたので寝ました。
帰ってきたのが8時半で、道中も帰って風呂に入る間もそれほどお腹は減っていなかったんですが、夕食を食べているうちに空腹を自覚してきたようで、(豚すき焼きだったんですが)締めの蕎麦(うどんが手元になかったので)のあとにご飯を入れてその日中にタレを余さず頂きました。
道中よほど身体を緊張させていたようです。
後述するようにそれも当然なのですが…

この日の行程のハイライトを一言でいえば「史上最大の後退戦」です*1
後退戦という言葉に僕は特別の印象を持っていて、元は戦争で前線の戦況が悪化して被害を最小限に抑えながら敗走するという意味ですが、それが転じて、物的な経済成長の限界にあり少子高齢化の最先進国である日本社会を(今後何世代という長いスパンで)どう落ち着かせていくか、という文脈で使われるのを内田樹氏の文章で(平川克美氏の著書の引用だったかな)初めて読んだ時に、自分の生活思想とこの言葉に高い親和性を感じました。

昨日の行程においてはまた違う意味で、「自分の意思で行動した分は自分の身体で後始末をつける」といった感じになるのですが、歩くことが自分の身体との対話である以上、そして脳を身体と密接に関わらせるという意志がある以上は、非常時を除けば当然のことです。

その意味では、昨日の行程はこれまでの京都歩きでは得られなかったものが得られた気がします。


…分かりにくい書き方をしてますが、即物的にいえば単に「足が棒になるまで歩いた」ということです。
前に金閣寺に行った時のように車道メインの行程だったんですが、街中のようにいざとなれば交通機関を頼れたり店で休めたりできない点が違っていて、これに加えて(山の車道に限りませんが)車道は「距離に関して手加減がない」ことを身に染みました。
本当に当たり前なことですが。

昨日の道中、「後退戦」のまっただ中では歩き旅に対する恐れが今までにない形で自分の中に芽生えるのを感じましたが、これはつまりは一日に歩ける距離は身体の限界があるのだから長期で歩くならしっかり予定を立てるべきだ、と頭が(身体の悲鳴を聞くことで)真剣に理解したということです。
一日歩き回る時に「最初から地図を見たら面白くない」と思うのは勝手だが、旅で同じことをしたらどうなるか。
これも当たり前ですね。

…短期の歩き旅を何度かやっておいた方がいいかもしれません。
熊野古道とか大分の耶馬渓*2とか、行ってみたいところがいくつかあるので。

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これは今日出会った仏さんです。
上の文脈とつなげれば「メメント・モリ」でしょうか。
詳細は後述。

 × × ×

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今日は二ノ瀬から夜泣峠を越えて大岩に出て、雲ヶ畑へ行くことを考えていました。
大岩に出てからはずっと車道ですが、まあそういう日があってもいい。
前日にそれとなく地図を見ていたので、ぐるっと回って帰って来れれば、くらいに思っていました。

写真は叡山二ノ瀬駅で下りて、最初の橋を渡るところ。

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鞍馬へも行けるのか…と考えながら通り過ぎる。

線路を渡って山道を歩き始めると序盤に池を通り過ぎた先に流れをまたぐ小さな橋があります。
ここで前に二ノ瀬〜貴船を歩いた時に撮った写真を載せます。
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一月以上前の写真ですが、今とあまり変わりませんね…紅葉を終えると山は時を止めるかのよう。
それはさておき、前回この橋を越える時に、橋を渡る直前右側に傾斜のきつくて幅の狭い道が見えて「いいなあ…」とそそられてこの写真をとったのでした。
今回同じ地点に達した時に、また「同じ道をなるべく歩かない」という生来の癖*3でこの狭い道を上り始めました。

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水が流れるそばを少し上るとすぐに道らしきものがなくなり、そして流れは強くはなく岩がごろごろしている。
というわけで成り行きの沢登りになりました。

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よいしょ、よいしょと岩を伝って登る。
さすがに手を使わないと登れませんが、手はいつでも洗えるのがうれしい。

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途中にいたきのこ。赤い。

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まだまだ登ります。天然アスレチック。

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ひときわ大きな岩を登ったところで来た道を見下ろす。
岩に手をかけたところで目に入って一瞬ぎょっとなったんですが、流れに留まって漱がれている白い物体が写真下端にいます。
もちろん端っこに写るように撮ったんですが…

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そのままの状態で近くから。
この独特の白さはもう、一目見ただけでわかりますね。
最近読んだポーの短編で、望遠鏡で遠くから大木の枝の先に置かれた髑髏を見つける場面でこの白さの描写があったはずですが…せっかくなので探して引用してみます。

「あるいはそうかもしれん。だが僕は、常識ということが、詩的調和ということとまったく同じくらい、このことに関係があると考えずにはいられないんだ。(…)その物は、もし小さい物なら、どうしても白くなくちゃならん。ところで、どんな天候にさらされても、その白さを保ち、さらにその白さを増しもするものとしては、人間の頭蓋骨にかなうものはないからな」

「黄金虫」p.186(E・A・ポー『黒猫・黄金虫』新潮文庫
下線は文中傍点部

もちろんこれは人骨ではありませんでした。
上の状態から取り出して、洗って静置しました。

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下顎はありませんが、頭部が綺麗に残っています。
何の動物か想像がつきませんが、そのあたりにいそうな動物として鹿かな、とその時は考えました。

不意に目に入った時は驚いたんですが、ものが分かるとそれほど抵抗なく触れることができました。
たぶん街中で同じものを見かけたら目を背けて近づかないようにしただろうと思うんですが、それはこの頭蓋骨が見せる恐怖が「頭の方」だからですね。
…って、頭蓋骨の頭ではなく、身体に対する頭つまり脳の方という意味ですが、畢竟恐ろしいのは頭蓋骨そのものではなく「頭蓋骨が連想させるもの」であるということ。
街中にこんなものがあればまず間違いなく不穏な事態を想定しますが(人骨ならなおさらです。なぜこんなものが放置され続けているのか?この街の治安は大丈夫か?的な)、山の中のしかも人がほとんど通らない所で見かければ、冷静な頭なら「なるほど」と思うわけです(これは人の通らなさを裏付けているなあ、とか)。
…とはいえこれが人骨だったなら今の自分の状況と照らし合わせて恐慌を来したかもしれませんが。

石を積み上げて供養しようかと少し思ったんですが、そんなことより現状を思い出して、というのは沢登り行程が一段落していたのは行く手に滝(というか「滝になるほどの高低差」)があったからでさてどうしたものかという現状認識をほっぽり出して骨を観察していて、その時上の方で人の声が聞こえて、見上げると登山者のグループが通りかかったのでした。

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僥倖、と思って咄嗟に撮った写真。
中央に人が写っています、小さいですが。

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行く手にある滝。
さすがにこれは登れません。

ところで、すぐ下に書いてますがこの滝は上側の山道から下りるのは困難でたぶん沢登りしないとたどり着けないんですが、そういう難所なので名前がついてないのではと今思ったので、ここで勝手に命名しておきます。
偶然出会った仏さんにちなんで「髑髏瀧」でどうでしょう。

いや、いい名前だと思いますよ、「ユウレイ峠」だってあるし。

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登山者のグループを見かけた時に、その方角になんともおあつらえむきの(正規の山道に戻れそうな)道を見つけました。
骨と滝を後にしてさっそくこの道を進んだんですが、お約束というかご多分に漏れずというか(つい2日前に同じ経験を何度もしました)、道がどんどん先細って斜めになっていき、しまいには単なる斜面になるという有様で、しかも広葉樹の落ち葉が滑って下さいと言わんばかりに隙間なく敷き詰められている始末。

思い出すと頭に来たので、絵を描いてみました。
(こういうのを「昇華」と言うのです。たぶん)
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先細っていく斜面の道の断面図を時間経過に沿って3つ描きました。
断面図なので、赤い人は紙面方向に進んでいるわけです。
まあ3つ目になるまで無茶はふつうしませんが、何も考えずに「道だから」と進んでいくとほんとうに絵のようになりかねません。
この時は2つ目と3つ目の間くらいの状態でこの道に見切りをつけ、さっき人が通った山道がすぐ上にあると知っていたので(人が通らなかったらどうしていたでしょうね…ぶるぶる)、生えている木と倒木を足がかりにして斜面を登りました。
落ち葉に加えて前日の雨で土がもろもろになっていて、一度足をかけた土が崩れて斜面にしがみつく場面もありひやっとしましたが、無事に山道に合流することができました。

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合流した地点は少し登ると立て札があるところでした。

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あとは前も通った正規の山道を上るのみ。

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夜泣峠の分岐点に着きます。
今日は大岩へ抜けます。

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ふむふむ。

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下ります。

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日を浴びる苔。
光ってました。

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苔の絨毯。
もふもふ。

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そして大岩へ。
ここからはずっと車道です。
もう今日の山場は越えた気分でした。

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鴨川の上流に沿ってどんどん歩く。
これは車道から見える景色です(右下に少しだけガードレールを入れました)。

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途中で山道入口を見つけ、奥の方にある立て札を見ると「判官坂」とあります。
なるほど、ここを行けば前に見つけた分岐にたどり着けるわけですね。

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民家が並ぶ地帯にたどり着きました。
北大路〜雲ヶ畑間を一日二便走る小型バス「もくもく号」のバス停「市ノ瀬」付近。

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さらに歩くとちょっとにぎやかな所に。
視界に入る情報量が一気に増えたのでそう感じました。
バス停「出合橋」付近。

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左へ行けば村の中心部へ、右は林業センターなるものがあるそう。
この時にはもうけっこういい時間で「どう帰るか」がまず念頭にあり、じっくりと考える。
今は中心部を見に行けばよかったとつくづく思うんですが…

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広域図の端へと目が吸い寄せられる。
なにを見てんだという感じですが、この右上の隠れたところが非常に気になったわけですね。

 府内広域図に隠れた道は、貴船神社に至る道(府道361号)に通じているのではないか?

うん、いやそうだ間違いない、それなら貴船口まで歩いて叡山電車で帰れる…と確信的に楽観視して、今いる出合橋の分岐を右に進むことにしました。
行き止まりなら引き返せばいいや、車道だし暗くなっても平気だし、ともちろん予想が外れた時の事態も想定はしていたのですが…

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林業総合センター。
冬期休業とのこと。
林業を営む方々の憩の場なのでしょう。

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すかっとした気持ちのよい道。

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ふむふむ。

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善明寺端にいた苔たち。
勢いがあります。

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アグレッシブ間伐。

神去なあなあ日常』(三浦しをん)を前に読んだことがあるので、ひたすら林を抜ける道を進む間もいろいろと想像しながら歩いていました。

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進んで行くと分岐があり、左へは魚谷峠(徒歩)という表示。
山道はふだんは大歓迎ですが、この時はこの状況(もう日が暮れる)にしてこの方針(車道で貴船へ抜ける)で、そして当然思い至るのはこの峠を進んで果たしてどこに通じるのか全く不明なので、特に迷うことなく引き続き車道の右を進む。

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と、アスファルトが途切れて砂利道に変わる。
…若干不安。

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振り返ると日暮れ。
が、まだいけると行程続行。

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砂利道というか小石のばらつく地肌の道を進んでいるとまた山道の入口が。
枝に巻き付けられたラミネート紙には「樋ノ水谷を経て樋ノ水峠へ」とあります。
なるほどなるほど。ここを進めば前に歩いた、貴船山手前の樋ノ水峠に至るわけね。
…かなり不安。

というのも、この峠に至る山道に対して今歩いている車道(でなくなりかけている道)の方角が90°違っていて、要はこの先で車道がぐーっと右に曲がってくれないとどんどん目的の合流地点から離れていくからです。
この辺りでもうほとんどさっき立てた行程は諦め、どこで引き返すかの機を窺っていたように思います。

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小屋を見つける。
「麗杉荘」という看板があったように思います。
もうだいぶ暗い。

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大岩から車道を上る間にぱらぱら降っていた霧雨は小屋に至る前か後かにみぞれっぽい雪に変わっていて、これも不安材料の一つだったんですが(寒いからという以上に、どんどん北へ向かっている証拠のように思えたからです。行きたいのは東)、(1)日がとっぷり暮れ、(2)雪は勢いを増し、(3)写真にあるように「柳谷峠」なる峠に至る山道の入口を見つけ、(4)ふうんと思って車道を進もうとした先がぐしょぐしょになっているのを見て、という踏ん切り材料が4つ並んでようやく「ここまでやな」と元来た道を引き返す決心をしました。

つまりここからが「後退戦」で、車道だから暗くても大丈夫と舐め切っていた道はとうに山道のごとくになっていて(小石がばらつきぬかるみもある)、雪の降り続く中を極小LEDライトで地面をサーチライトの如く時折「投げ照らす」ようにして無心で歩きました。
上賀茂の街まで下りてきてから満月だったと気付いたんですが、雲が薄かったようで雪の降る山道も真っ暗ではなく、ライトなしで歩いていて水たまりが月の光を受けて目に判別できるほどではありました。
なので行く先をずっと照らし続けるよりは(といってそれができるほどの光量をLEDは持っていないのですが。何せキーホルダ大ですから)怪しげなものを感じた時にだけ前方にさっと光を走らせる、という歩き方をしました。

ところで今日これを書く前にgooglemapで調べてみたんですが、やはりこの道は府道には繫がっておらず行き止まりとなっていました。(しくしく)
また「柳谷峠」で調べてみると、京都の峠について詳しく載っているHPに興味深い記述がありました。
以下はそのHPの「柳谷峠」の項目からの抜粋です。

■地図:http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=350853&l=1354433

峠から西に進めばほどなくして魚谷山へ。地形図に表示はないが、峠から東に延びる京北町との境界尾根を行くと芹生峠に到達する(未踏)。

リンク先の地図を見ると(あの、登山部が使うような地形図です。僕は高校時代に見て以来な気がしますが、分かる人ならこの図を見て「尾根の道」が見えるのでしょうか)、芹生峠がまさに僕が行こうとしていた府道361号だったことがわかります。
つまり、柳谷峠に入って進めば実際に府道にたどり着けたのですね。

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元来た道を戻って出合橋を過ぎ大岩を過ぎ、柊野へ至る少し手前のクリーンセンターへ至る道のある分岐まで来ました。
気温表示を見ると3℃!
ここで3℃なら雲ヶ畑は何度だったんだろう…歩いている間は腕が多少冷えましたが胴体は寒くはなかったです。
立ち止まっていたらどうだったか知りませんが…それが怖かったので引き返した地点からここまでは途中屈伸する以外はノンストップでした。

引き返した時は日の暮れ方からして17時前で、最初に書きましたが帰宅は20時半なので、「後退戦」では3時間以上ぶっ続けで歩きました。
山道とどちらが楽かといえばどっちもどっちですが、山道の方が足にかかる負荷が(大小ではなく)柔らかいのと、立ち止まって考える時間があったり足場にバラエティがあるので局所に連続的な負荷がかかりにくいという点を重視すれば僕は山道の方が楽ですね…ということを今回の行程でひしひしと感じました。

途中で立ち止まれない制約と大事を起こさないようにという緊張感の中でよくやったとは思いますが、足の方は(帰宅時は)もう「全部使い切った」という感じで、「後退戦」の途中で足首が痛い、膝関節が痛い、太腿が痛い*4、と普段の徒歩中に痛むところが全部痛んだ時に「次はどこを使おうか」と思って「太腿の背中側」とか「臀部」とか色々試して*5の総力戦の結果ですね。

それで普段痛まないよくわからない足の部位も痛みがあったんですが、帰宅後に1時間ほどじっくり風呂に浸かっていると自炊できるほどには元気になったのでした(もっとも外食より自炊の方が楽だと思いますが)。
今これを書いている翌日はそこそこぼろぼろ(なんだそりゃ)なので静養していますが、夜のプールは行くつもりです。

話を昨日に戻しまして、街に下りてきてからは街灯りを見るだけで嬉しくなり、ついつい余計な写真を撮ってしまいました。
街の有り難さが本当に身に染みました。
今日の経験は普段の生活というか、生活思想(価値観)に影響を与えるかもしれません。

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街コン。(違うか)
志久呂橋のそば、だったかな?

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週1くらいでご飯を食べにくるMKボウル上賀茂。
いっそのことボウリングしてやろうか、と思いました(学生の頃で、一人でなかったら同じ疲労困憊の状況でもやっていたかもしれません。あの頃は体力とは「別腹」でテンションで動けたものです)。

長くなってしまいました。
歩く間に考えなかった分、いろいろ思うところがあった(ある)ようです。

*1:何の歴史かといえば僕自身の徒歩史ですかね。

*2:耶馬渓は最近山頭火の日記を読んで知りました。深耶馬渓(昔は「新耶馬渓」だったそうです)の紅葉がすごいのだとか。

*3:たぶん小学校の時に身についたのだと思います。「同じ道ばっかり歩くとボケるよ」と祖母に教えられ(小学生に聞かせる話ではないですね)て真に受け、通学は集団登校でしたが下校時はいろんな道を通って帰宅したのを覚えています。家も学校も大阪と京都の府境にあったからか、はたまた山の方の住宅街だったからか、小学生が下校でバリエーションを楽しむには十分な選択肢がありました。

*4:これらの痛みに加えて、あと「右足の魚の目跡が痛い」もあったんですが、もうこれはぶり返してますね。翌日の今日も押し込むと痛いし…また静養しなきゃですね。『白衣の女』(ウィルキー・コリンズ)が今週はご無沙汰だったので、これを機にずんずん読み進めることにしましょう。

*5:「そこを意識して歩く」というだけで他の部分の痛みに差があるのです、実際に。もちろん意識だけでなく身体の動かし方も変えるのですが。